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みなそこすなどけい2

水底砂時計ni

大森靖子のライブを聴きに岡山まで行った日記

 ワイパーの往復がぎこちなく、それでいて甘いリズムを刻んでいる。1022日、午後2時すぎの岡山市は霧雨。路面電車に乗ってきょう泊まる宿を僕はめざしていた。富山から新幹線と特急と、ふたたび新幹線を乗り継いでここまで来た。神戸より西へ来たのは初めて。新大阪から岡山はあっという間だった。ほんとうは昨日のうちに実家のある石川に帰って、きょうは京都で途中下車でもしようかなと考えていたのだけれど、昨夜会社を出る時点で頭が痛くてとてもじゃないけど移動は無理だった。いつもなら遠出のときはあらかじめ電車の切符を買っておくのだけれど、今回はそんな余裕もなくて、ならばもうすべてを明日の朝に賭けよう、と決断した。まずは眠って回復しなくてはと意気込み、解凍したおにぎり1つとチーズ1かけだけを口に入れ、風邪薬をポカリで流し込んで眠った。たどり着きさえすれば大丈夫。だって明日はずっと楽しみにしていた大森靖子のライブなのだ。

 ライブってちゃんと行ったことなかった。京都に住んでいたとき、平安神宮で何組かの人たちが出演する野外ライブがあって、それに行ったのがほぼ唯一の経験。今回の公演のことだって、告知をたまたま目にして知った。行ってみたいなと思ったけれど、土日で席が残っているのが岡山くらいで、「岡山かあ。どうしようかなあ」みたいなことをtwitterでつぶやいたら、四国住まいのまひるさんが「わたしも行くよー」とレスをくれたのだった。(まひるさんというのは姉のような人で、去年なぜか新宿でいっしょに大森靖子カラオケを行い、入ってない曲はiPhoneで流して歌うという妙にエモいことをしたりとかしました。)もともと「好きな歌手のライブを聴きに遠くの街まで一人で行く」というのを漠然とやってみたいとは思っていたけどずっと決め手がなく(なにしろチケットの取り方とかもよくわかんないし)、でもなんとなく今回がそういう流れな気がして、参戦を決めた。

 当日の朝も気分すっきりとはお世辞にも言えず、やっぱり体は重かったのだけど、でもお風呂に入ったり1泊ぶんだけの簡単な荷造りをしたりして、普段の通勤より1本遅い電車になんとか間に合い、富山駅の窓口で切符を買った。いつもならそこで降りるはずの京都駅をぼんやりした頭で見送った。岡山駅は大きくて駅ビルも都会っぽかったけれど、路面電車だけは富山のよりおもちゃみたいでかわいかった。
 ホテルの部屋に入って水とチョコを摂取し、ベッドに仰向けになる。その姿勢でiPhoneを持つ手を真上に伸ばし、You Tubeに昨夜上がったばかりの「オリオン座」を聴いた。開演まで2時間ある。2回めからは小声で歌った。くりかえし、くりかえし。

  2年前の4月もそうだった。「春を殺して夢はひかっている」と大森靖子が歌い、橋本愛蒼波純が真夜中に追いかけっこをするPVをくりかえしくりかえし再生した。その曲、「ミッドナイト清純異性交遊」だけをまずはダウンロードで買い、ほどなくしてアルバム『絶対少女』も手に取った。当時はとにかく(今もだけど)社会人のコスプレをするのがちゃめちゃにつらく、会社の車を運転しながら、ひとりのときは『絶対少女』を何度も何度も聴いた。iPhoneの頼りないスピーカーから流れる声にあわせて、僕自身もそのアルバムを毎日、やけくそみたいに全曲歌い上げることで、なんとか生き延びた。縋るように、祈るように。

 けれど信仰なんかじゃなかった。信仰と呼ぶにはあまりにも、大森靖子の音楽は僕のダサいところぜんぶ、生活や感情の醜さぜんぶの間近にあったのだった。「私に新しい神様買ってよ」*1とよじれた明るい声で歌う彼女を、どうして神様にしたりできるだろうか。
 大森靖子は同い年で、あるいはそのことがへんに僕を勇気づける。僕が脱ぎ捨てたくてたまらなかった恥ずかしい自意識とかぜんぶをこの人は音楽にして、そうしてみんなに、遠くに、届けている。大人になるには手癖でスマートに振る舞うことだって必要、みたいな思い込みを心底どうでもいいよって笑って置き去りにする彼女が、とてもとてもかっこよかった。「笑笑でもいいから帰りたくない」*2「あとすこし そばにいて/読みたい漫画がみつかるまで」*3そんな風に、諦めや失望をほんのわずかな希望へと反転させて「たった1秒生きのばす」*4つぎはぎだらけの勇気がまぶしかった。アラサーでも、結婚しても、子供がいても、ちゃんとかわいくかっこよくいつづけていいのだと思い知らせてくれる。すごい。

 *

  ライブハウスの作法はよくわからないけれど、とりあえず身軽なほうがいいだろう。お財布とチケットとiPhoneとハンカチだけをポケットに入れて部屋を出た。雨はまだ細く降り続いている。会場まであと5メートルのところで警備員さんに「裏の公園ねー」と言われ、行ってみたら果たしてそこには開場待ちの人たちがいた。まひるさんもいた。ほどなく先行販売ぐみと一般販売ぐみの2列に並んでくださいと指示される。整理券番号順らしい。近くの人に「何番ですか?」と聞いて列を作っていく。思ったよりいろんな人がいた。1人だったり2人で来てたり、中年くらいのご夫婦とかもいた。先行販売の列が先に動く。屋根のないところでしばらく待ったので、雨よけのためにハンカチをひろげて頭にのせた。ハンカチは淡いけれどピンク色のを選んで持ってきた。

 こちらの列も誘導されて、会場の外階段をじりじりと登っていく。チケットをもぎられ、オリオン座を手渡される。わら半紙に手書きの歌詞。わら半紙! 物販で水色のタオルを買った。わかりやすくどきどきするというより、ただもう現実感がなくて、ふわふわした。これからのたぶん2時間くらいで僕はなにを持って帰れるだろう、とか考えながら、ジンジャーエールをストローですこしずつ飲んだ。前方のまひるさん(整理番号1桁)から「いよいよだね」みたいなLINEが来る。「ここにいる人みんなが大森靖子の歌を聴きにきたんですね」と返す。素朴な感想だった。Twitter大森靖子にリプライしているアイコンや、YouTubeについているコメントの文字、そういう見える形じゃなくてもどこかで大森靖子を聴いている誰か、を今まではんぶんフィクションみたいな存在に思っていたけれど、そういう人たちがそれぞれの体と表情をここに持ち寄っている。岡山のこの小さな箱に。へんな感じがしたし、うれしかった。

  開演時刻になった。

(ここから描写がすごい前後入り乱れるけどごめんね、あとなんの曲やったかとかのネタバレも含みます)

 大森靖子がほんとうにそこにいた。いつも手のひらの中の液晶画面ごしにみていたのとおんなじにギターを持ち、歌っていた。ちょっと酔ったみたいな、なのにビビッドなしゃべり方でしゃべっていた。
 PINK からミッドナイト清純異性交遊へ。最初からすごい。いま目の前で歌っている。「今夜しか見れない流星群」*5そのものだった。

 だけどこの時点で僕はまだなんとなく周りを気にしていた。ステージに身を乗り出すような前方の集団があって、そこから5歩くらい後ろの位置にいたのだけれど、わーどういう身の振り方(文字通りの意味)をすればいいのだろう! とちょっとそわそわしてた。
 そうしてる間にも歌はどんどんすすむ。イミテーションガールをありえない息継ぎでとぎれず歌っていてやばかった。非国民的ヒーローを聴いて飛び跳ねたくなった。言葉に直してしまうのがもったいないくらいの歌と声だった。

 「今日嫌なことあった人!」の呼びかけに「コンテストに落ちた!」と答えた女の子が「絶対彼女」のソロをもらって歌っていて、それがとてもよかった。自分のなかの歌いたい欲求をひさしぶりに思い出した気がした。

 どの曲のときだったか、頭の上でひかえめに手を振っていたら、斜めうしろに立っていたお姉さんの手とぶつかって、顔を見合わせてすこし笑ってしまった。それでちょっと楽になった。すぐ前の人はずっと顔に手をあてて、たぶんときどき涙をながしていた。その人は最後まで微動だにせず立っていた。
 そうだった。この箱の中では、いまこの歌を聴いているっていう一点でのみ共犯で、あとは自由に、好きにしていればいいのだった。

 

 MCでは(じぶんの解釈もまじるのでそのまんまではないけど)こんなようなことを言っていた。
「ライブでは日常を忘れたいって人もいると思うけど、そういうバーーンみたいなのはアイドルのライブとかに行ってもらって、わたしはみんなの生活が好きだから、こう、ほんのこれだけ(胸の前で水平にした右手の5センチくらい上に左手)上がってほしい。このくらいだけ変えたい。5000円でね。5000円分がんばるから、みんなも5000円分だけもらって帰ってください!」
「学校とか行きたくないけど行ってるのが一番えらい!(観客拍手)そうやって日々をすごしたから今日ここに来れて、だからみんなの顔は歪んでる。それを見るのが好き」

 

 中盤でしっとりした曲に移るとき、「客電つけてください! もっと明るく」と舞台上の彼女は言って、みんなの顔が照らされた。じっさい僕の顔は歪んでいただろうなと思う。そしてさっきまでは、はるばる岡山まで来たんだし、ここは日常なんかとはぜんぜん別の場所で、終わったら顔の歪みなんてなくなって帰ってるんだ、みたいな勝手な期待をどこかでしていた。けれど、そんなに構えなくていいよと言ってくれた。
 そう、ここは夢の中なんかじゃない。憑物落としでもない。あのださい、ずたぼろの日常と地続きでもいい、地続きだからいいんだ。だからここまでこられたし、明日もこの続きを生きていける。

 

 「オリオン座」を歌いながらふっと笑ってしまった。足もとを一瞬だけみて、また前を見た。
 暗い中で後ろの方からすすり泣きが聞こえたりもした。ずっとなにかがこみ上げそうで、だけど涙が流れたのはなぜか「デートはやめよう」のときだった。
 「あまい」からバンド編成にもどるそのぶ厚さに圧倒される。「TOKYO BLACK HOLE」は文句なくかっこよかった。

 

 最後の曲は「音楽を捨てよ、そして音楽へ」だった。

 眼鏡をホテルの部屋に置いてきたので、じつはライブ中ずっと、舞台上の彼女の顔はつぶさには見えなかった。眼鏡、邪魔になるかな、と思ったのもあるけれど、それだけが理由じゃない。同じ空間でつぶさに見たら、大森靖子を遠くに感じてしまうんじゃないかとちょっと怖かった。
 だけどそんなことはなかった。ぜんぜんなかった。
 どのタイミングだったか、「twitterできょうこんなことあった~とか、なんでもいいから話しかけてね。クソリプも好きだから。あっ〈死ね〉とかでもいいから。慣れてるし」みたいに口にしたときの曇りない笑顔をみて、この「慣れてるし」はほんとに本気だとわかった。極限まで孤独を煮詰めて浴びて向き合った人の凄みだった。この人が神様であるはずがない。
 音楽は魔法ではない。こんな血みどろのきらきらが魔法なんかであってたまるものか。音楽は魔法ではない、でも、だからこそ……

 

 アンコールの2曲め、ほんとうの最後の曲は「マジックミラー」。
 「かわいいって言ってくれるみんながかわいいよっていう曲です」だって。
 かみしめるように聴きながら、困ったことに、前向きにうらやましかった。孤独をこんなに美しく光らせ、ステージからみんなを照らしている同い年の大森靖子が。僕だってそっち側に立ちたい、と思ってしまった。まんまと。ブサイクでボロボロのLIFEを蹴散らしてここまで来てほんとうによかったと思った。

 会場から出る。外階段の手すりに傘がたくさんかけてあって、あっすごいエモい写真撮ろう、と思ったけど、だけどあまりにもエモくて写真じゃもったいない気がした。人の流れに乗って、立ち止まらずに通り過ぎた。(今すぐに消えちゃう全てを歌っていくのさ。*6)覚えておこうと思った。
 耳がわんわんして、水色のタオルを頭にのせて、すっかり暗くなった夜の街を歩いた。

 つぎの朝目覚めるとやっぱりすこしだるくて、散歩してパン屋さんでパンを、コンビニで牛乳を買ってホテルの部屋で食べた。チェックアウトして駅まで歩き、岡山らしいことを何もせずに新幹線に乗り込んだ。

 * 

  次の日からもずるずると重い体をだましたり、だましきれずに会社を休んでしまったりしながら過ごした。2週間経ってやっと人心地ついた気持ちでこれを書いてる。なう。 

 ライブ会場で「オリオン座」を歌ったときの記憶と、ホテルで仰向けになって動画をみながら小声で歌ったときの記憶と、どちらがどちらなのか、思い出そうとしてもよくわからない。大森靖子はずっとiPhoneの液晶を隔てたむこう側にいた。僕はほら穴のこちら側で、ダサい生活に纏わりつかれながら、むこう側の光を覗きこんで生き延びてきた。ライブは、まさにそのほら穴の中のできごとで、大森靖子も、それぞれに生き延びてきた人たちも僕もちゃんとそこにいた。かといって仲間とかじゃなく、たぶん一生口を利かない人ばかりで、だけどそれぞれが自分だけの孤独を持ち寄っていた。だから尊かった。
 そのほら穴はいまも手のひらの中にある。
 また飛び込みに行きたい。こんどは眼鏡をかけて、これでもかってくらい見つめようと思う。この生活はほかでもない僕の孤独で、ぼろぼろで見苦しくてとても美しい。
 遊びを続けよう。

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*1:君と映画

*2:ノスタルジックJ-pop

*3:呪いは水色

*4:TOKYO BLACK HOLE

*5:ミッドナイト清純異性交遊

*6:TOKYO BLACK HOLE

2016.09.30

 「ねむい」のひとことだけでもいいから紙の日記をまいにち書く、というのが今年の目標で、それなりに達成できてはいるのだけれど今日は家に日記書く用のノートを忘れてきてしまった。隣の県の実家に帰ってきております。さっき郵便局に消印をもらいに走ってきた。ひと月以上ぶりに自動車を操縦した。夜で雨なのに! 自動車の操縦はあまり好きにはなれない。なぜなら景色をまともに見ることもぼーっとすることもできないから。今宵はとても体力的に疲れていてかつ精神的にハイだったのでめちゃ慎重にハンドルを握った。夜の雨は好き。おやすみなさい。

神様除去

 三連休なのでひとりぐらしらしくひきこもっている。端的に言って鬱屈としている。ここでむさぼるように読んだり書いたりできればいいのだけれど、そうもいかずいたずらに考えごとと無駄なネットサーフィン(死語)ばかりしている。

 先週2巻を買ったばかりなのにこいいじの3巻と4巻を立て続けに買い、娘の家出の5巻を買い、あと『聖の青春』も買ってきて読んだ。

 前回のひとりぐらし、学生のころはとにかくお金がなかったくせになぜかアルバイトをしていなかったので、さみしさと金銭的なぎりぎりさが癒着して、癒着していたがゆえにぼんやり拡散せずにかえって生き延びるというただひとつの方向づけが気持ちの上でできていたように思う。いまは多少はお金を好きに使えるので、いろんな感覚がぼやけてしまう。スーパーに行って牛乳とチーズとヨーグルトを三つともためらわずかごに放りこめることに、なぜかすこしの絶望を覚える。すこしの絶望がどんどん積み重なる。かといって自分の楽しみのために思い切ってお金を使うことにも慣れていないので、せめて本だけはある程度好きに買いたいなとおもってすこしずつお財布の紐のゆるめかたの練習をしている。それが本題じゃないというのはわかっていながら。

 お財布の紐のゆるめかたがうまくなるより先に、人への接し方が雑になっていくのを感じて、それがとてもつらい。ゆめお姉ちゃんみたいに「人の気持がわからない冷血人間なのだ」と笑ってうそぶくにはまだ成熟できていないし、それを成熟と呼ぶことへの抵抗がおばけみたいにじぶんを苛む。わたしはやさしくなりたかった。誰か他者を生きる意味にするということでは決してなく。

 この年の将棋年鑑で、棋士全員に送るアンケートの項目の中に「神様が一つだけ願いをかなえてくれるとしたら何を望みますか」というものがあった。
 それに対して、村山はたった4文字でこう答えている。
〈神様除去〉
 それは、なんとも美しくも悲しい問答であった。 

大崎善生『聖の青春』講談社文庫、p.284)