2017年末から2018年初の日記
2017年12月29日(金)晴れ→途中は雨、琵琶湖のむこうは靄→くもりはれ
7時に目が覚めてごみ出し、雪かき、そうじ、荷づくりを怒涛のいきおいでこなす。朝はたまごかけごはん、昼はおにぎりとみそしる。りんごとゆずも。
JRから地下鉄に乗り換えるには地下から行けばいいものを、やはり京都タワーを見たくて上から行く。
三条のJEUGIAは管楽器売り場が3階になっていて、4階から外が見えなくなっていた。寺町通のアーケードを上から見下ろせて好きだった。
じつは入ったことのなかった三条のLIPTONへ。なんとかのパッパルデッレ(キンプリでみたやつだ!と思い注文)、洋梨とキャラメルのタルト、アールグレイをいただく。鏡でお店の中が広く見える。そのあとおすすめされた姉小路のカフェでプラムエードとピザパンをいただく。2階の窓から静かな通りがみえる。細くまっすぐな路地を歩いていると、ひとつ向こうのパラレルな通りは別世界みたいで、何年か前になにかの打ち上げとかで御幸町通のお店にいた自分や、あるいは誰かとあてどなく歩いている自分が、いままさにみえない向こう側にはいるのではないかという気がしてくる。
三条大橋を渡るとき、京都の冬の雑踏だ、どうしようもなく京都のさむさだ、と思う。ジャンカラで夜を明かして三条大橋から朝焼けを何度見たことでしょう。でも回数だけならきっとおそらく言うほど多くなくて、印象が記憶のなかで乱反射しているだけ。
12月30日(土)はれ
5時半くらいに目がさめて、もういちどうとうとして、9時前に宿を出る。動物園を対岸にみながら疏水沿いを歩く。持ってきたインスタントカメラで鳥の写真をついついたくさん撮る。白川丸太町の喫茶店でカフェオレとシナモントースト(うすぎり)をいただく。うすぎりと言っても5枚切りか4枚切りっぽい。トーストにバターを塗って粉シナモンをふっただけのやつ。そうか甘くなくてよいのか、と蒙を啓かされる。丸太町通をのんびり過ぎていく人や車がへいわ。
錦林車庫まで歩いて、バスで出町柳へ。合流地点の右岸側が工事中で、堰き止められて一部干上がっていた。ぎりぎりの時間だったけど下鴨神社にがんばってすばやくお参りして、駅へ引き返す。猛禽の声がするのが出町だなあと思う。
待ち合わせにちょうどぴったし間に合って、総勢4名でとりあえず新しくできた出町座へ。新年の準備をしたい人たちで商店街はにぎわっていた。さるぅ屋カフェでバーガーを食べたりいろいろしゃべったりする。そのあと河原町今出川のミスドで総勢5名となり、僕以外はそのまま帰省という感じでわかれる。
出町柳から近鉄乗り換えで西大寺までSさんと「『にこたま』の終盤に出てくるお蕎麦屋差さんは現実にはいない、いません!」という話などをする。
奈良だ。去年とおなじ宿に泊まる。晩ごはんは教えてもらった中華屋さんがやっていなくてベトナム料理を食べる。べつにそう決めてたわけでもないのだがこんかいの旅はノンアルコールだなあとおもう。帰りにバス停から宿まで小声で「オリオン座」をうたいながらあるく。星がほどほどによく見える。
12月31日(日)くもり、はれ、金沢は雨
朝の散歩。ちょっと霧雨だけど傘は差さずに。鹿の毛並みが黒っぽくてたくましい。二月堂からみる盆地はやはりいきをのむ。朝ごはんはかんぺきで、このために一年生き延びたと思う。ひよこ豆とカリフラワーとオクラの温かいのとか、皮を剥いたプチトマトをなんらかのビネガーで良い感じにしたのとか、舌で果肉のわかるジャムとか。チェックアウトのときにスタンプをもらう。奈良だけで2泊とかもよいなと思う。
近鉄奈良駅で荷物を預けて興福寺の東金堂をみる。日光菩薩と月光菩薩の四肢がなめらかでよかった。どの国からきた人もみんな鹿に夢中でわやわやしていて、なんだかうれいい。
斑鳩へ。13年ぶり(たぶん)。法隆寺は空間と建築がそもそもめっちゃ見事で、うおーテンションぶちあがる、と思わず口にする。前のときは印象に残らなかったけど、夢違観音像に釘付けになり、絵葉書も買う。白鳳期の仏様に好きなのが多い。隣の中宮寺までみたら引き返そうかとも思いつつ、でもせっかくなので法輪寺と法起寺もぜえはあ言いながら歩いてまわる。空が広い。山が遠くぼんやりとかすんで、だけどたしかに世界を囲んでいる。
近鉄奈良駅で大仏プリンと柿の葉寿司を買い、特急券を買って京都へ。激混みの伊勢丹地下でお弁当購入ミッションを成功させ、サンダーバードに乗る。
金沢駅まで父に迎えにきてもらい、家に着いておそばとおさしみを食べる。日付が変わる前にaikoが歌っている姿をみて、年が明けていいかげんとてもねむいのでねむる。
2018年1月1日(月)雨
ゆっくり起きる。着替えて林檎をむいて孤独のグルメをみる。おせちとおぞうにを食べる。最後のジェダイをみにいく。祖母を訪ねる。夕飯のすき焼きのあと、閉店時間間際のイオンのゲームセンターに母と妹と行ってエアホッケーをしたり、母がどうしてもほしいと言ったでかいくまのぬいぐるみを3play500円で3人のリレーによりまさかまじで取れてしまい、くまもいれて4人でプリクラを撮る。ワンコインで取れたので「わんこ」と名付ける。相棒をみながら膝の上で日記を書きながら林檎と梨をたべる。
短歌日記(2013.11.29)
2013年11月29日(金)
夕方のニュースの受け売りなんだけど、この冬一番の寒さらしい。(ほんとうはなにもかも受け売りなんだけど。)さもありなん、さも、さ、さむい。
2限の演習のあと、S先生の部屋まで付いて行って先行研究の論文をお借りする。S先生は指導教員である。「笠木は地元、北陸だっけ? 俺が好きだった小説家で金沢大学にいた古井由吉って人がいてさ、昭和何年の豪雪を……」ああ、38年ですね。「うん、それを題材にした『雪の下の――』っていう小説がさ、」聞き取れなかった。雪の下の、何ですか? 「『雪の下の蟹』。カニさんな」ああ、蟹。それから先生は煙草に火を点けた。「蟹」という一語を聞いてしまったことで、件の小説の題名は一つに確定してしまった。「雪の下の湖」や「雪の下の瑠璃」や「雪の下の猫」、そのほかあらゆる可能性は、正解〈かもしれない〉身分を一瞬にして奪われてしまった。なんたる権力。(ほんとうはなにもかも受け売りなんだけど。)でも、だとしても、このときの先生の「カニさん」の言い方や、煙草の赤い火を、きっとこの先も覚えている。そんな気がする。ここにしかあり得なかった受け売り、ではだめだろうか。
出町柳の橋を自転車で渡る。またもやよく晴れている。上下が水色と灰色に分かれた、ふっくらした雲がたくさん浮かんでいる。川が穏やかにきらめいている。静かで、でも豊かな、洗練された弱奏部のようだった。こうやって言葉にすることで嘘を混ぜてしまいながら、(ほんとうはなにもかも受け売りなんだけど、)でも覚えていようと思う。
お布団でひもとく高野文子かなまもなく部屋の灯を消す未来
初出:『京大短歌20号』(2014年3月)
※11月の終わりから12月の最初の日までの10日間、後輩の北村さんと並行して日記+短歌を書く企画より。10日間のうちの8日め。京都に住んでた最後の冬。
For You(短歌15首)
For You
「へこたれていじけた子になっちゃだめよ」(志村貴子『放浪息子』)
ぼくの夢は夢を言いよどまないこと窓いっぱいにマニキュアを塗る
逃げきった鳥が青だよ 周到に荊を踏んでちかづくまでだ
通学は放浪だからどうしてもパフスリーブのあの服が要る
西の空とおくはばたく輪郭をまるで優しい炎とおもう
(はんぶんこってなんでできてる?)(おさとうと嘘とすてきななにもかもだよ)
あどけない理想でもいい街路樹にまどろむ冬の小鳥にパンを
突きつける傘の尖から落ちてゆく雫でいつかアクアリウムを
誓います。薔薇の名前を捧げます。大人へといま離岸する舟
ふくらんだ胸と喉とを取りかえる魔法を日記に書いて交わした
さっきから探していたよ数々の流れてきみの声になる星
なりたくてなるのをやめた姿さえ愛して橋の継ぎ目を越えて
過ぎ去れば映画みたいだ冷えた目にろうそくの火があんなにきれい
ひかりのシャワーを浴びてぼくらは静謐と呼べる時間のなかを歩いた
たかが恋 つまり春へと消えてゆく夜明けのつばさ、しののめの雪
でもこれは記録だ。ぼくのかじかんだ手が書く一度きりの夕焼け
初出:『京大短歌21号』(2015年5月)
(志村貴子『放浪息子』へのトリビュートです。初出時とちょっと変えてます。偶数首目の歌は登場人物の名前の折句です。2首目「に/とり/しゅう/いち」4首目「に/と/り/ま/ほ」6首目「あ/り/が/ま/こと」8首目「ち/ば/さ/お/り」10首目「さ/さ/か/な/こ」12首目「す/え/ひ/ろ/あんな」14首目「たか/つ/き/よ/しの」)