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みなそこすなどけい2

水底砂時計ni

てつがくな春の一日

哲学

3限の授業を終えて階段を下りると、楽団のユーフォ吹きYさんと弦バス弾きT先輩が、「ごかんだんちゅう」のごようす。

で、僕も混じって授業のことやらなんやらしゃべっていると、3人のテンションが変な風に高まりあって「お花見行きましょうよ!」ということに。

おそろしく温かくいい天気で、次の時間は全員空きだったものですから。

そこそこ近くて桜があるところ…

哲学の道

というわけで喜び勇んで出かけましたとさ。

満開を過ぎて今この瞬間に止めどなく散っていくはなびらたち。

ゆるやかに降り注ぎ、疎水のみなもに浮かんで流され。

いや、もうむちゃくちゃ奇麗!!

近くにあり過ぎてなかなか行かないけど、明日もまた来たくなってしまう。

銀閣寺への道との分岐点付近で、4段ソフトクリームを買い求める。

上から、抹茶、桜、ほうじ茶、バニラ。

お値段据え置き250円☆

ベンチに座って桜を見ながら、おしゃべりしながら。

むっちゃしあわせやわぁ~。

道沿いには和菓子、おしゃれなイタリアンカフェ、手作り雑貨のお店などなどが。

しかし気になるのはこれ↓

わらびもち

二位って!

むむ。次来たら食べようか。。

で、予想外に歌碑を発見。

人は人吾はわれ也とにかくに吾行く道を吾は行なり  西田幾多郎

四句目は「わが」って読むかな。

意味は単純明快で、変に重くあるいは軽く、青くさくなりかねない内容だ。

けれど、二、三句目の急迫調や、一首全体に散りばめられたリフレイン、そして歌碑が置かれているこの場という文脈。

それらがあいまってか、不思議と芯の通った、前向きな意志としてすんなり入ってくる。

余談ですが、ネット上のソースは信用できないですね、やっぱ。

歌の表記、たとえば結句の送り仮名とか、そのほうが見栄え良くても付け足すなよ、勝手に。

まったくもう。でも「我が振り」にも注意せな。

疎水の桜

これ、指さえ映っていなければいい写真なのに~。

のんびり釣りを楽しんでいる方もいらっしゃいました。

くまくま

日本に京都があってよかった。

これは京都市の自画自賛コピーですが。

でも、ねぇ、つくづく思いますよねぇ。

そして自分が今京都にいられてよかった。

学びの水準とか、いろんな人(たとえ急に一緒にお花見に行くような)との出会いとか。

帰りに段々俗世界に帰っていくような不思議な感じがした。

すこしの間、ほんとうに別世界に行っていたみたいだった。

だけど、まあこんなおもしろいこともあるので、日常生活に戻ってもまたやっていけるでしょう。

「吾行く道を」行こう。

こうして春の一日は過ぎた、のでした。