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みなそこすなどけい2

水底砂時計ni

生きてるって感じ

前に、「すっごく辛いものを食べるとさ、生きてるって感じがするよね~」と言うと、友人たちに「それは君がMだからだよ」とあっけなく、しかもばっさりと否定されてしまった。

僕のその発言は本心そのもので、少なくとも誰か一人ぐらいは同意してくれるものと無防備に信じて疑わなかっただけに、そう返されて一瞬きょとんとしてしまった。

ほとぼりが冷めてみるとようやく、その否定の仕方はずれているだろう、と抗いたくもなったのだが、有効な説明には思い至らなくて、なんだか悔しかった。

冒頭の僕の発言の核心は、「生きてるって感じがする」という言い回しが、限りなく文字通りの意味に近い、というところにあるのだ。

すっごく辛いものを食べるのが大好きです、嬉しいのです、という主張を修辞的に述べたのではなくって。

じゃあ「生きてるって感じ」って具体的になによ?ってところにすこし踏み込みつつ、一般化して言いなおしてみましょう。

「ひとつの生命としての自分に先天的に備わっており、また後天的に育んできた、適応や自己治癒の力。身体の痛み、辛さと隣り合わせの状況にあることで、その力を普段より敏感に、よりたしかに感じ取ることができる」

たぶん、だいたいこんな風なことを言いたかったんです。

まあ冒頭の発言は他愛もない世間話の合間のものであって、そこまで伝えようと意図して言ったわけではない。

ないのだけれど、言葉にできなくても無意識でもさ、上記の言い直しにあるような思いが僕の中にあったのは確かだ。

冒頭の発言は、そういう思想的な(というと大げさだけど)裏づけがあってはじめて出てくるのだと思う。

おそらく「すっごく辛いものを食べたとき」っていう状況設定が、卑近で俗っぽすぎたせいだろうな。

「Mだからでしょ」っていう僕にとって不条理な反応しか返ってこなかったのは。

たとえば傷が何日かをかけてふさがってゆく過程。

かさぶたができて、好奇心にかられてはがして、なまなましい部分を見て、でもまたふさがって。

たとえば高熱を出したとき。

浴槽に沈めた身体は温度の感受が狂っていて、上がったら寒くって、できるだけ水分をとってあったかくして布団に入る。

昼間も長いこと眠ったものだから浅い眠りの中で寝返りをうち、かすかに残っている意識でケータイの着信のバイブ音を聞き取る、けれど眼を開けることも手を伸ばすこともかなわない。ああ汗をかいているなあと薄っすらと思ったりしつつ、次第に夢に落ちてゆく。

目覚めてみると身体はまだ多少だるいけれど、意識も目の見え方もずいぶんはっきりとしていて、そうして結露した窓越しに見る朝はいつもよりずっとずっと朝だ。

それからゆっくりと起き上がって、お茶を飲んで、ケータイを開いてみたら新着メールは家族や友人からの心配のそれで、夢に元恋人がでてきてうなされたような気がしたのもまあ、どうでもよく思えてくる。

ね、こんなとき、これ以上ないくらい、「生きてるって感じ」、しませんか。

みたび冒頭の発言に戻ると、「すっごく辛いものを食べる」っていうのは、ああそうか、お手軽に能動的に実行可能な、擬似的な発熱みたいなものなのかもしれない。

あと、これは書きながら今思いついたんだけど、自己治癒の力って僕はさっき言ったけれど、近しい人との関係って「生きてるって感じ」を受けとるのにはとても効果的なスパイスだ。

「うわっ辛!」「うん、辛い。でもおいしいよね」「だね」とか、

「みてみて、かさぶたはがしたらちょっと血ぃでてきた」「はがすなよ馬鹿。まったく傷はそっとしとけよな」とか、

ケータイの液晶に表示された「お大事に」のたった四文字でさえ。

別にこんなこと今更言わなくても、当然過ぎるくらい当然な気はするけれど。

でも今僕が身をもってそう実感しているということに、価値がないなんてことはきっとない。

そんなわけで特に結論も起承転結もへったくれもなく要するに、「生きてるって感じ」っていいよね、ってそれが言いたかっただけなのです。

昨日せっかく(?)熱が出たので、すこしは臨場感のある言葉で言えたらなあ、と思いつつ無駄に長くなってしまいました。

最後に引用でもしてお茶を濁して終わろうっと。

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ   俵万智

体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ  穂村弘