みなそこすなどけい2

水底砂時計ni

浮上、うたう、不全。うたう。

 「でも、星が話してくれたことを、友だちに話してあげるのはかまわないんでしょう?」

 「それはいいよ。だができないだろうね。」

 「どうして?」

 「それを話すためには、まずお前の中でことばが熟さなくてはいけないからだ。」

 「でも話したいの、なにもかも!あそこで聞いた声を、うたって聞かせられるといいな。そうしたら、なにもかもまたよくなると思うわ。」

 「ほんとうにそうしたいのなら、待つこともできなくてはいけないね。」

 「待つなんて、わけのないことよ。」

 「いいかね、地球が太陽をひとめぐりするあいだ、土の中で眠って芽を出す日を待っている種のように、待つことだ。ことばがお前の中で熟しきるまでには、それくらい長いときが必要なのだよ。それだけ待てるかね!」

 「はい」とモモはささやくようにこたえました。

 ミヒャエル・エンデ/大島かおり訳『モモ』(エンデ全集3)岩波書店,p.246-247

 前の前と、そのまた前の週末のことがあって、なんだか区切りくさいなあとか考えていたらいつの間にやら23歳になっていました。最近ほんとうに生きてきてよかったなーって思います。思えるようになってよかったなー、とかなんだかまだちょっと自分のことじゃないみたいな感じもしているし、それから油断は禁物だし、あと楽観ばっかりしていていいわけではないのだけれど、まあでも確実に水面近くまで浮上してきている感じです。ぴーす。

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 6月の13日には『京大短歌』16号の批評会があり、自分の作品のこと作歌態度のことこれからのこと、改めてきちんと向き合おうと思った。OBさんと話せたのもすごく嬉しくて、ああこの詩形でもがくことは、単純に日々に苦しみがさらにのしかかるだけではないのだなあとしみじみ。

 20日には吹奏楽団のサマーコンサートがあり、はじめて奏者でもスタッフでもなくお客さんとして観にいったのだった。なんだか気持ちの上で割とすとんと整理がついてしまった感じで、そういう心境の変化というか楽器を吹くことへの執着が丁寧に均等にのばされてうすめられていってしまっている、その一区切り。もちろん距離と時間のせいなのだけれど、その距離と時間をいちもにもなく寂しいと思わないようにまでなってしまったみたいだ。

 このふたつが直近にあったのは割と重大なんじゃないかって気がする。大げさだけど儀式、というか通過儀礼のよう。

 じゃあそれを経て今はどうかって言うと、いい短歌をこれからたくさん作りたいなあ、ってわくわくしています。楽器への未練はないわけじゃないけれど、一旦は離れるっていうこころの準備ひとまず完了、かも。

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 考えてみれば、大学に入ってからこっち、「うたうことの不全性」について折にふれて思ってきたのだった。

 高校のころは学校が終わったら部活で毎日楽器を練習して、多少ぶつかってもなんだかんだでみんなでステージに上がったら、客席から拍手をもらえて、そうして受けとるものの大きさに無防備な多幸感を抱いていた。万能ではないにしても、自分とそのまわりを確かに照らしてくれるのだと信じていた、音楽は、楽器を通してうたうことは。

 大学生になって入った吹奏楽団はそもそも人数が多いし、それぞれの生活環境や考え方の違いが、良くも悪くもずっとずっと大きくて、初めはそれに面食らった。音楽面でも生きていく上でのあれやこれやでも、まあほんとうは分ける必要もないのかもしれないけど、いろいろ刺激を受けた。単純に自分の演奏の拙さが悔しくってやっぱり練習した。だんだんこの団が大好きになって、恩返ししたくて、それから先輩に憧れて、自分を成長させたくて(当時の僕のことばで言うと、「もっと強くなりたくて」)総務に立候補したのだった。

 普段の練習も演奏会の準備も本番も、全部自分たちでやらなくちゃいけなくて、しかも責任のある役職に就いていて、バスクラリネットは少人数楽器で、団の仕事と演奏の両立がうまいこといかなくて、空回って周りに心配ばっかりかけて、でもそのたびにああ自分はまだ弱いからだめなんだって思ってちっとも頼らなかった。いつからかモチベーションは責任感にすり替わって、いいや義務感だろうか、でも誰に対する?そんな風にだんだん凝り固まって視界も耳の聞こえ方も変になって。悔いなくうたえるわけがなかった。

 要するにひどく臆病でわがまま見栄っ張りだったんだな、今よりずっと、と身をもって自覚できているのは、ようやくのこと。ほんとうの意味で気づいている途中だよなあ今も。

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 大学に入って短歌を始めた。何の気なしに踏み入れた世界だったのにおもったよりずっと深くて広くて果てなくて、だけど楽器を続けているうちは「だけどサークルとしても表現手段としても、サブだもん」と言い訳していたのだった。楽器よりもことばで創作することの方に、なまじ適正があったせいで、がむしゃらになれなかった面もあるのかもしれない。なんとなく要領よくするすると美味しいとこ取りで、面倒なところからは往々にして目を背けていたのだと思う。なんせ観察眼がありでも我が強く、イヤなことに言語化の能力の高いひとたちばかりだったので、ちょっと前までは、でも歌詠みなんて嫌いだもんってどこかで常に反芻していた。

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 それでまあ、いるとしたら神さまが、幕間の時間をくれたのかなあと思う。一度とにかく深く深く沈んでからだがとにかく重たくて、それから遠回りをいっぱいしてきたのだ、ここ二年半は。遠回りは今もだけど。

 一番しんどい時期は楽器を吹いてもちっとも楽しくなくてそんな自分に絶望あるいはおののきさえしたし、短歌もぱったり作れなくなっていたし、ほんとうにうたえなかったのだった。だましだましだから強ばっているとかそんな話ではなくて、からっきしうたえなかった。

 それからも大概ぐだぐだした態度では構えではあったけど、でも肩に力が入っているのを気づけるようになってきたし、度を越えた背伸びもしなくなったし、自分大嫌い病・見て見て病の発作が出るにしろそれを相手がどう受け止めるか思いをめぐらせるようにちょっとはなった、かもって思う。

  

 だったら必要な時間だったのだと思う。

 目の見え方を耳の聞こえ方を距離の量りかたを声の出し方を、一度忘れて、荒療治だけどもう一度取り戻しあるいは変えなければ、いまうたっているようにはうたえなかった。そのときうたえなくてもやがてうたえることだってあるって思えた。

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大切な人に唄いたい 聴こえているのかも解らない

だけどせめて続けたい 続ける意味さえ解らない

 BUMP OF CHICKEN「真っ赤な空を見ただろうか」

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 楽団の大好きなふたつ上の先輩に何年かぶりに再会して、言われた。

 「名前わからんくて『少年、おい少年』っていつも呼んでたけど…成長したな!」

 遠回りの学生時代を送った短歌会のOBさん(学部も同じだったりする)と話して、お酒が入っていたら泣くところだった。

 

 サマコンが終演して駅までの道のりを、なじみのある声と夜のかすかなあかりにぼやける輪郭の傍らに自分がいて、先のことなんかも漠然と話したりしたくせに、なぜか凪いでいた。

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 うたい方はいまだってまだ全然拙いんだけど、だけど理屈抜きにうたいたいなあって思うので。それは狭く言えば短歌をつくることだけど、歩くこともそうだしすこしずつ遠くなってゆくけれど吹奏楽のひとたちとたまにまたふれあうのもそうだし、なにかしらはたらきかけるってことはどこか深いところの水脈を豊かにするもので。じわじわといつか種にたどりつくんじゃなかろうか。

 いずれ死ぬんだからうたおうってわくわくしている、だけじゃないけど、でもわくわくしている今なので。

 いいんじゃないでしょうか。ねえ。