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みなそこすなどけい2

水底砂時計ni

祇園クロール

王宮は星の隠れ家(が) 王ねむり衛兵ねむる夜半(よは)にうたげす  水原紫苑『あかるたへ』

 実は、ちゃんと賑わうメインのときにちゃんと見に行ったことのなかった祇園祭に、とうとうちゃんと行ってきた。宵宵山だった。

 どのくらいちゃんと見に行ったかというと、歌会のあとに連れ立って行き、出町柳から京阪電車で行き、屋台のものを食べたりするくらい。屋台のものを食べたのってとても久しぶりで、2年くらい前にわたあめの短歌を作った記憶が一番近い記憶なのだった。でも歌の中なのでもちろん実際に食べたのではない。屋台は前(さき)の世のものです、と言っても差し支えないくらい遠いのだった。過去世というと、かなり前まで遡ると、海だったはずである。それも海浜ではなく海中。僕に前世が存在したかどうかはあまり関係なくて、あったとしたらの話ね。とにかく前世といえば海中っていうのは定番だ。カイチュー時計というのもあることだし。真面目だよ。

 それで宵宵山の話に戻ると、四条京阪の駅(今の正式な駅名は「祇園四条」)から地上へと、ゆるくカーブする階段を上っていったら、果たしてそこは水中なのだった。でも僕の知っている水中と勝手が違うらしく、みんな道に足をつけて歩行している。真似して橋を渡る。身体が軽くなるかというとそれほどでもなくて、でもひょっとしたら元の僕の重さを忘れているってだけかもしれない。市街にあるにしては幅の広い橋だけれど、いっぱいに人がひしめいている。みんなゆらゆらふにゃふにゃとした足取りで、心なしか上げては下げる一足ごとの滞空時間が長いようだ。対岸にはモダアンな作りの黄土色の建物が聳えていたり(たいそうみごとな中華料理屋さんだ)、川床(もはや床ではない)に明かりが灯っていたり、それ自体はいつも見ているのだけれど、ちょっとばかり今日はエキゾチックだった。

 橋を渡り切ると道の両岸にはビル壁がそびえ立っていて、記憶にあるよりずっと高い。たぶん、頭上にあるのが空や宇宙でなくて、水だからだろう。水中ってどこまでなのか、水面ってどれなのか、目で見る限りではわからない。そもそも水面って目で見てちゃんとわかるものだったろうか。スイミング教室のことを思い出そうとしてみたけれど、よくわからない。あそこのプールの天井はガラス張りだったから、余計に混乱する。今いる四条通りのずっとずっと上にも、ガラス張りの天井があるだろうか。

 両岸のビルにはネオンで象られたネコ科の獣(スポーツブランドのロゴだ)や、巨大な百貨店の四角くかわいい窓たちや、そあるいは屋上のビアガーデンから七色のシャワー(水の?光の?)なんかがあって、変ににぎやかだ。音を立てるものは地上、もとい水底の人間たちだけだ。浴衣の人が多いのは、ヒレやエラとしての機能も備えているかららしい。僕も着てくればよかった。ただ、使いこなせている人は少ない。たぶんだいたい地元の人なのだろう。信号の点滅のあたりまで浮き上がって降りてくる人がときどきいる。着地点のところをみんな自然と空けてあげているのは、浮き上がるほどの人にはやはり風格があるからだろう。

 なんて思いながらずっと上ばかり見て歩いている。50メートルくらい先の信号に人がまた浮いて泳いで行った。今度は子どもだ。10歳前後くらいの男の子。髪は金色のような銀色のような、とにかく光沢があって細い髪の毛だった。袖口から気泡がぽこぽこ出てくる。ほらやっぱりエラ呼吸の要領なんだ。嬉しくなって振り返ってみんなにそう言ったら、地元出身の子がすごいことを教えてくれた。あの気泡の内側に林檎の果実を挿しこんで、気泡の外側をさらに赤い砂糖水で包んで、それが祇園流のりんご飴なんだよ、って。それは楽しい。著しく愉快だ。前方には山車が見えてきた。山車からも明かりと気泡が漏れている。相変わらず人々は道路いっぱいにひしめき合っているのに、山車の近くだけまるで物音がしない。ためしに僕もしゃべってみる。最近読んだ歌集から歌をいくつかそらんじてみる。すると、口の中にあるうちは振動を感じられるのだけれど、身体の外に出た途端に声が、というか音が、すごい速さで遠ざかっていくのだ。拡散はしない、一直線にだ。一直線にあのばかでかい(百貨店よりは小さいが)山車へと、吸い込まれていくんだ。なるほど、そうやって音を吸収して、それで光と気泡を出すのだな。地上と違ってよくできているものだ。音がなくて映像と熱でしか周りの人々がわからない。自分自身についても、自分の立てる音を受信できないので、なんとなくふわふわする。しばらく立ち止まってから、そこを離れた。

 四条烏丸の交差点に辿り着いて、この日のために開放されている、道に面したビルのショーウインドウに基地を決めて、屋台へと思い思いに走る。さっきの話を聞いたので、僕はりんご飴のお店を探す。屋台の明かりも音がエネルギー源なので、静かだ。烏丸通沿いに京都駅まで屋台はずっと並んでいる。でも、なかなかりんご飴の屋台が見当たらない。おかしいなあ、と思ってふと目を下にやると、目の前に小さな人影があった。さっき信号のところへ浮かんでいった少年だ。今は気泡を出していない。袖はゆらゆらと上下している。少年は僕の方へ視線を上げると、口の形だけでなにかを告げた。と思うと、浮き上がって屋台より少し高いところを背面で泳いでいった。

 ぐんぐんと南へ、つまり京都駅の方へと行ってしまい、ついに見えなくなった。さっきのあれは、一体なんて言っていたのだろう。少年が消えた方をよく見ようと背のびをすると、爪先が少しだけ地面から離れて、浮いた。びっくりしている間に着地。ほんの数センチだったろう。でも、浮いてしまった。浴衣じゃなくてただのTシャツ(しかもどうでもいい英語が書いてある)なのになあ、と思いながら、一方で本能は面白そうってはしゃいでいて、気がつくともう一度地面を蹴っていた。

 今度はもっとちゃんと浮かんだ。一蹴りで人の頭よりすこし上までだ。そのままクロールをしてみる。身体を水平に保てない。さっきまで左に見ていたビル壁が、今は自分の身体の下に見える。重力方向の制御はともかく、とりあえず南に進めればいいやと思い直して、手と足を動かす。ふらふらしながらも、少しずつコントロールに慣れてくる。3階くらいの高さまで上昇。あまり大きな動作や力はいらないのだなと気づく。ロールして空を下に見たり、ビルを下に見たりしながら泳いで進んでいった。

 いつのまにか五条を過ぎている。この辺で高度をすこし落としてみようか。信号機の上に腰かける。見渡すと、ビルの屋上に腰掛けている人たちが見える。歩く人たちの頭の上を泳ぐ人もちらほら見える。浮き上がれるのは必ず地元の人、というわけでもなさそうだ。気がつくと、着ているTシャツのお腹と背中がすこし膨らんでいる。気泡かな、浴衣じゃなくてもこの方法で呼吸ができるのかな。でも別にズボンに裾を入れているわけでもないし、襟や袖のところはあいていて空間があるのに。どうして今まで逃げなかったのだろう。何かコツがあるのだろうか。そこまで考えて、何の気なしに唇を動かしてみる。もう一度歌をそらんじるのだ。5・7・5と唱えていく。

 すると気泡はお腹の側に集まってきた。布地の内側で球状にまとまっているようだ。そのままこんどは7・7を唱えると、拳くらいの大きさになって胸のところでゆっくりぽこぽこうごいている。というか、息づいている。でも次の瞬間、Tシャツをすり抜けて僕の目の高さまで上がってきた。

 まじまじと見ていたら、ふいに思い至った。ああ、この気泡の球の中に音があったのか、ここに入る仕組みになっていたのだ。そうしてしばらくすると、気泡はゆっくり上へ上へ、水面だかガラスの天井だか、もしくは空か宇宙か、どこまでかはわからないけれど、とにかく夜をのぼっていった。僕はりんごを持って来ていなかったので、見送るよりしかたなかった。最後にもう一度、歌を唱えてみると、ちゃんと声が身体の外に出ていくのがわかった。また来ようと思った。