みなそこすなどけい2

水底砂時計ni

劇的なんかじゃなくていい ―― TARI TARI 6話感想

 TARI TARI 6話見ました!
 5話の引きがかなり重くて息苦しくて、予告でみんなが和奏を呼ぶ声や和奏の「ありがとう」を聞かされて、今回は絶対何か起こるぞーと思ったら案の定やられてしまった。
 和奏の憂鬱の根っこにあるお母さんのことと音楽のことが5話で明らかになって、それで今回は言ってみれば解決編。でも、過去のトラウマは現在の仲間との絆を確かめあうことで乗り越えるぜうおー、という高コレステロールな展開では決してなかった。今回何か起こるぞとは思っていたけれど、とりたてて劇的な感情表白やぶつかり合いや、そういうわかりやすい〈事件〉は起こらなかったのだ。ずっと誠実で丁寧なやり方でこちらの感情を揺さぶってきた。揺さぶられるというより、無防備なところに毛布をかけてもらったみたいな気持ちになった。


 冒頭、ピアノや音楽に関係するものが引き払われた部屋の、広い畳の上で目覚める風邪引きの和奏は、ぐしゃぐしゃでぺたんこな悲劇のヒロインなんかじゃなかった。喪失ってけっこうあっけなくって、あっけなさの中でどうしていいかわからないでぽかーんとしてしまう、あの感じ。岩場の水溜りでおおげさに転んで身体を濡らしてしまうのはお見舞いに来た来夏の方だった。そのあとの和奏の部屋での場面がすっごくよくて!〈身の上話 VS お説教〉みたいなところから最も遠いのだ。「叶ったら終わっちゃうでしょ?」という来夏の言葉は最適解じゃなくて、でもそれでいいのだと思う。あとそのあとの紗羽のメールがすっごいよかった!馬もよかったけど、なんかあのメールがまんま紗羽だなあという感じで好き。
 それからウィーンと田中な。ちょっと間抜けっぽいけどまっすぐで誠実な二人なので、和奏視点だとすごく安心感あるんだろうなって思う。大人はというと、産休中の先生は手慣れたお節介っぷりを見せ、そしてお父さんがさーもうさーかっこいいというか優しいよーずるいよー。自分のできないことできることを見極めて、諦めるところは諦めて、でも大事な所は何一つおろそかにしなくて、素敵だった。

 一人ひとりがそれぞれの場所で、自分自身に誠実に和奏に接していて、その嘘のなさがなにより温かい。現実では相当むずかしいよーこれ!和奏のそれは、いじわるに言えば〈わかりやすい不幸〉なのに、誰もおもねることをしないのだから。
 物語が山場に差し掛かったからといって、それまでの人間関係から唐突でありえないくらいの跳躍や飛躍を見せることって、往々にしてある。でもそういう断絶を感じさせないで、今までとちゃんと地続きに描いているところがこのアニメの稀有なところだと思う。淡々と会話が交わされて、場面を通り抜けて、でもその中にあるほんとうになんてことないきっかけが、前を向かせてくれる。きっかけと言ったって頓服薬やサプリメントではないからその場では気づかないのだけれど、いつの間にか何かがたしかに変わっている。そんな宝物みたいな手ざわりが、たまらなくリアルなのだ。脚本はもちろん、演出もすごくて、なによりテーマでもあり一番のキーになる音楽にやられてしまった。

 和奏のお母さんは音楽を教えるときに技術的なことよりつい抽象的なことを優先的に言っちゃうタイプみたいだ。それが音楽科の受験を控えていた時期の和奏には気に入らない部分もあったし、それを差し引いても理解しにくくもあったのだろう。「発声練習も歌うつもりでやらないと」というアドバイスを思い出して、窓の外の遠くの空を見据えて発声する和奏と、それを見ている男子2人のシーンの美しさには息を呑む。そのさらに後の浜辺でのシーンなんて、祝福や恩寵以外のなんだというのだろう。
 ようやく聞けた5人バージョンの「心の旋律」はずるい。ずるすぎる。コンドルクインズの曲との共通フレーズがあるのだけれど、見ている側としてはあの部分がもう脳内で和奏のお母さんとつながっているので、相当くるものがある。これまでの5話の蓄積があってその上であの歌を5人に歌われたから、感情が決壊するというよりなんかこう驚くくらいなめらかにこみ上げてきて、そのまんま出ていく――みたいな感じを覚えずにはいられなかった。(ウルウルシテキモイネー)
 とにかく奇跡みたいな回だった。でも偶然都合よく通りかかった奇跡じゃないのだなあ、良いなあ。

潮風のハーモニー

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