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みなそこすなどけい2

水底砂時計ni

ものおもう春

はかなくて過ぎにしかたを数ふれば花に物思ふ春ぞ経にける  式子内親王

 ほとんど覚えていません。小さな火だけをかろうじて覚えています。マッチよりも小さな、ひょっとしたら針の穴よりも小さな火でした。なぜそれが火だとわかったのか、というのはずっとあとになって考えたのですが、けっきょくはわからないままです。そんなことを考えてしまうのは、わたしの頭が理屈っぽくなったからだろう、ということで片付けて以来、そのテーマについてはそれっきりです。場所はどこだったでしょう。砂漠――という単語がまず思い浮かぶのですが、残念ながらわたしの知っているいちばん広い砂場は近所の公園のものです。砂浜というものを見たことすらないのです。そもそも、火を目撃したそこは乾いた場所ではなかった気がします。でも、さみしいような荒涼とした感じをよく覚えている。昼だったでしょうか。火の周りは明るかったのか暗かったのか、白かったのか濃く深い藍色だったのか、まるっきり思い出せません。ひょっとして夜だったのでしょうか。火の周りはまったく思い出せないのに、だけど火には輪郭というものが時間的に一貫して定義されてはいないから、火そのものをあやまたずわたしの眼が捉えていた、というのも誤りでしょう。否、もしかして眼で見ていた、ということすらほんとうではなかったのでしょうか。火を見た次の日、幼稚園の着替えの時間に友だちがわたしのおへその隣に魚の鱗のようなものがあるのを見つけました。先生はそれを火傷の水ぶくれかとも考えたそうですが、それにしては妙に冷え冷えとした感じがしたのだとあとになっておっしゃっていました。その鱗のような跡は、今ではおへその周りをまるく囲んでいます。お互いの尾を噛み合う双頭の蛇――の、魚版、といった趣で、対の二匹が勾玉みたいな姿勢をとっています。一度、縁日のスーパーボールでつついてみたら、きゅるきゅると鳴く声が聞こえました。そんな気がしただけかもしれません。そういえば、あのときの火はお祭りの提灯にも似ていました。わたしは提灯を見るといつでも、ずぶ濡れにしてやりたいという強い衝動に襲われます。なにか関係があるのでしょうか。2013/04/06


 桜はポップコーンみたいだ、ともう何度も君がくりかえしいうので笑ってしまった。それ前の春にもことあるごとに言ってたじゃない。最初のとき、坂をくだりながらたくさん並んでいる桜をみてわたしは「泡みたい」と言った。そうしたら君は「いやそれはちがうよ、もっとちゃんとかたちがあって、でも軽いんだ、ポップコーンだよ、桜はポップコーン」とごくまじめに返すのだった。よく晴れていて、明るい夜空だった。月が細くて白かった。桜は坂道に沿って生真面目に等間隔に生えている。でも枝が好き勝手に空間にひろがるし、その枝からどんどん花びらが降るので、トータルでは生真面目じゃないなとおもった。ただそれにしたってポップコーンって喩えはポップすぎないかしら。あまりにもポップでキッチュキッチュってなにかよく知らないけど。まあポップコーンの質感はたしかに桜と似ていなくもない。ふわふわでほんのすこししっとりしていてでもぱさぱさでかるくてしろくて、それからすぐぽろぽろこぼれる。どちらにも萼がある。ああそうか萼だ。わたしは桜の萼がとても好きなので、でも一方でポップコーンのあの明るい茶色のところはあまり好きではないので、それでこの比喩にケチをつけてしまうのだろう。君はというと散り始めて以降の桜には基本的にあまり興味がないのだった。現世利益的な奴。わたしはなにも桜の散るはかなさがすきなのじゃなくて、桜の身も蓋も無さが好きなのだ、身も蓋もないのになんとなく気品のあるあの萼がとてもとても好きなのだ。君はわたしを好きだろうか。もしそうなら、わたしは現世利益だろうか。だけどわたしはお酒も大嫌いだ。君は弱いくせによく飲む。たのしそうに飲むのでうらやましい。君がお酒を買おうとするとわたしはいつも「じゃあたこ焼き買ってよ」という。君はたまに買ってくれる。一方はたこやき、もう一方は缶の発泡酒やらカクテルやら、というちぐはぐな乾杯をする。わたしはたいてい一口目でやけどするがそれを黙っている。口の中で皮がめくれるのが好きなので、じぶんだけで楽しみたい。わたしの皮がぽろぽろとこぼれおちたら中にちゃんと萼はあるだろうか。それともポップコーンの変身し損ないの殻が出てくるだろうか。まあでも結局は、たこぐらいが適当なところかもしれない。ところで君はたこ焼きに手を付けず紅しょうがだけ毎回ぜんぶ食べるけれど、そこだけはわたしもちょっと一目置いているのだ。言わないけど。2013/04/04


 眠ってしまう前に考えていたのか夢に出てきたのかわからない。

 場所を思いだしてみる。部屋だ、壁は白い。広い部屋ではない。アパートかなにかの部屋。ベランダから街並みが見えていて、ところどころに尖塔みたいなものが突き出ている。空は深い藍色だ。明け方なのか夕方なのかわからない。足がすこし冷たい。壁には絵が掛けてある。静物画と、表情の判別できない人物画。その人物は渚に一人立っている。静物というのは林檎と水差しだ。でも林檎は静物なのだったっけ。わたしと林檎とでは、どちらがより静物だろうか。じゃあ、回転木馬は静物だろうか。思い出せない。ずっとむかし、教えてもらったのに。

 部屋の中央に低いテーブルがある。透明なティーポットと、これもまた透明なカップがいくつか置かれている。中身が透き通っている。燃えるような赤い色の、夕焼け空みたいな液体が底の方にわずかに残っている。カップに口をつけてみる。におい、というものがまるでない。感じられないのではなく、ない。なぜかそう強く確信する。夕焼けのような水は舌に冷たいが、喉に熱い。胃ではなく心臓にすべりおちていった。これでまだしばらくはここにいられるだろう。ここ。この世界、またはこの部屋。待たなくてはいけないのだ、帰ってくるのを。

 電車の音、が聞こえる。聞こえてきた。さっきからずっと走っていたのだ。途切れることなく行き交っている。線路はどこだろうか。どうも、上のように感じる。この部屋より上だ。まいったな。わたしが聞き分けたい音はそれではない。あの人は電車では帰ってこないだろう。壁の水差しを見る。溢れそう。びしょびしょになるといけないので、林檎を取り出してテーブルの上に置いた。剥こうか。そのままかじるのがいいだろうか。それともただ眺めているのがいいだろうか。

 林檎の色は夕焼けの水を煮つめたみたいだ。それに気づく。なんとなくいろんなことがひとつの考えにつながりそうな予感があった。壁の絵の渚の人の顔と名前のどちらかをじきにわたしは思い出すだろう。でも、それはわたしの待っている人ではない。電車の振動がテーブルにもかすかに伝わって、カップがかたかたと音を立てる。もう眠りについてしまおう。まどろみの中でしか、すべてを一度に思い出すことはできないだろう。わたしは夕焼けの水の残りをすべて飲み干した。つまさきまで燃え残りのようなじりじりとした熱がゆっくり伝わっていく。ぐるぐると意識がまわりながら落ちていく。

 わたしは静物だろうか。 2013/03/30


 ふたたび眠りについて考えよう。なぜなら誰も、はじめてねむりについて考えることはできないのだから。だれも長い眠りの後に生まれ落ちるのだから。今日と明日の境を指さそうとしても徒労に終わる、それと同じこと。

 植物の名前を僕はあまり知らない。図鑑を見るのは好きだけれど、覚えようという気にどうもなれない。たぶん、かれらとは他人同士でいたいのだ。植物を友だちだとか隣人だとか、恋人だとみなしてしまったら、もう日々を営むことはできなくなるだろう。高層の摩天楼が覆い尽くす、緑もなにもない都市に暮らすのでないかぎりは。ミカヅキモやボルボックスは別だ。そもそもあれは植物ではないのだけれど、でもとにかく、あれくらい小さくて見えにくかったり、きょろきょろと愉快そうに動いてくれるのなら差し支えない。僕も安心してかれらを名指すことができる。かれらはどちらかと言えば夢の世界の住人に近いだろう。

 目覚めている植物しか僕は知らない。かれらは夜にも絶対に眠ることはない。これは今まで生きてきた経験からくる、確信と言っていいだろう。だいたい、夢に植物が出てきたことがあっただろうか。きゃらきゃらと笑うことのできるものしか夢には出てこない気がしてならない。あるいは、声を上げて泣けるものしか夢には出てこない。建物や路地や飛行機はその条件に敵う。食卓の果物にも資格がある。でも、そこまでだ。眠りの中に植物は茂らない。時間が円環だからだろうか。それとも、僕がその気になって起きているときに積極的に名指すようになったら、植物は夢に現れるだろうか。

 ふたたび運命について考えよう。来るべくして天体の光が僕のもとへ至るということ。ただし、運命と因果を混同してはいけない。因果は有性生殖だが、運命は雌雄同体に違いないのだ。誰にも属さない。きょろきょろといつもあたりを見渡しているプレパラートの上のちいさな緑の生命みたいなものなのだ。かれらは眠るのだろうか。眠りを訪れるすべがあることはたしかだ。きっと運命って、まどろみの中でしか見えないに違いないのだ。

2013/03/28


 あるところに、ねずみの姉妹がいました。おねえさんは緑色、妹はあかるいオレンジ色でした。2匹はたいそうりっぱなまゆげがうりふたつでした。こんなに似ているからにはおとうさんか、もしくはおかあさんも、りっぱなまゆげをしていたに違いない。2匹はけんかしてなかなおりするときに、きまってこの話をするのでした。おたがいがにていることをたしかめるため、「おたがいがにている」とおたがいがしんじているのだ、ということをたしかめるためでした。もっとも、そういう「ため」だとおもっているのはおねえさんのほうだけでした。なにしろ、妹ねずみはまだしっぽも短く、歯もはえそろっていないのですから。なにかの「ため」になにかをする、とかいうたぐいのことをかんがえるには、それなりの成熟が必要だったのです。これはにんげんでも同じですね。でも、みなさんがほんとうはことばにしなくてもたくさんのことをわかっているように、妹ねずみだってその「ため」にしているという「かんじ」は、ちゃんともっています。歯がはえそろうころには、「ため」というのがどういうことかをもっとわかることでしょう。そのりっぱな歯が、果物やチーズをかじる「ため」のものなのだ、というのが、ねずみのこどもがいちばんさいしょにことばにできる「ため」なのです。みなさんのはじめての「ため」は、なんの「ため」でしたか?それとも、だれかの「ため」だったでしょうか?

 あるとき、2匹は港へでかけました。とおくに船の帆がはためいています。帆はふねをはこぶちからのみなもとなのだ、ということは、なんとなくしっていました。でも、帆をはこぶちからのみなもとは、だれなのでしょう。または、なんなのでしょう。帆だけが、はしっていってしまうことはないのでしょうか。だって嵐のときなんかには、じぶんでじぶんをはこぶのできっとせいいっぱいでしょうから。おねえさんねずみはそんなことをかんがえながら、じっと沖をみていました。妹ねずみはそのまだ短いしっぽを、はとばのロープどめにまきつけようとしてみました。これはしっぽをまきつける「ため」のものではないな、とおもいました。それとも、わたしのしっぽが、そこへまきつく「ため」のものではない、というほうがただしいのでしょうか。妹ねずみはそのことをおねえさんねずみに尋ねようとかんがえたのですが、うまくことばがみつかりませんでしたし(歯ははえそろうまでもうすこしかかりそうです)、それになぜだか、おねえさんねずみもじぶんとおんなじことをかんがえているのではないかという気がして、だまっていました。おねえさんねずみは、じぶんのほうをみあげている妹ねずみにきづくと、ならんでいっしょの道をかえろうとうながしました。おねえさんねずみのしっぽも、はとばのロープどめにまきつくには、まだみじかいようでした。2013/03/26


 百貨店の中央を貫いてエスカレーターが天へと伸びている。折り返さずにずっと一直線で一階から屋上まで、ほんとうに貫通しているのだ。一番上に到達したら、まっすぐ一番下まで見下ろせるだろう。逆に、今いるエスカレーターの始点からは、ゴールは見えない。天井が全面ガラス張りだから、光っていて見えないのだ。エスカレーターは方角で言うときっちり正しく東から西へ上昇する。傾きかけている太陽の光はまだまっしろに強く明るい。むやみに光るからそちらが天だと否が応でもわかってしまう。

 光るばかりの天井を見ていると、スイミングプールを思い出す。平泳ぎの足まで習ったところで、飽きてしまって水泳教室はやめたのだった。都会の子どもだったから、高いビルの一番上にあるプールに通っていた。天井はガラス張りではなかったが天窓があった。プールの縦横どちらの基準からもちょうど中央の部分、畳四帖分くらいの大きさだったろうか。そのビルはホテルなんかが入っているほんとうに高層のビルだったから、プールの水面は、今いるこの百貨店の天井より高い位置にあるはずだ。けれども外の見えないエレベーターで登っていたから、あまり高さを感じることはなかった。窓の外を見ればそこが高い場所なのはもちろんわかるのだけれど、プロセスとして高低差を通過していないのだ。だから今ひとつ実感がわかない。百貨店の吹き抜けの方が、人類のすべてを包括していそうで、まるで天まで届くばかでかい祭壇だ。

 エスカレーターに乗ってのぼりはじめる。三つほど上のステップに、若い父親と女の子が横に並んで立っている。と、女の子が手に持っていた風船を手放してしまった。あーあ。泣き出すだろうか。それともあっけにとられるだろうか。ところが、そのどちらでもなかった。女の子はいきなりこう唱えたのだ。「風船さん風船さん、いちばんに天まで届きますように、わたしの心をはやくはやく連れていってくださいね!」何回も繰り返している。うれしそうに、高い声を上げて。彼女の若い父親も、満足そうに微笑んで見守っている。一体なんだというのだ。あの白くて強い光が怖くないのだろうか。そこへ風船があっけなく呑まれてしまうのが怖くないのだろうか。もう帰ってこないものを手放して、どうして怖くないのだろうか。

 女の子がふいに振り向いてにっこりと笑う。(こわくないためのおまじないなの。ママが教えてくれたんだよ。)プールの水面のように、天井から来る光があどけない肌の表面にゆらめいていた。2013/03/23