みなそこすなどけい2

水底砂時計ni

ハンドクリームメランコリック(2014.10.19)

 ハンドクリームのにおいはじぶんの手からしているにちがいないのに、けっしてじぶんのものなはずないにおいだからくらっとする。歩かないと歌ができないことに気づいて昨日の夜は晩ごはんのまえとあとに二回、散歩に行った。二回目の散歩の途中に薬局でハンドクリームを買ったとき、いくつかテスターを手に塗りこんで、そのにおいは二回目の散歩の最終盤に川沿いの桜並木を歩きながら手で口と鼻を覆ったために僕に嗅がれた。じぶんのものなはずないにおい。それともじぶんの手のほうがじぶんのものでなくなったのだろうか。というか、もとからこの両手はじぶんのものだったでしょうか。でもべつにその感覚は気持ち悪いってほどでもなく混乱をもたらすものでもなく、まもなくあっけなく僕のからだは家に着いた。ハンドクリームのにおいにくらっとするのはあれに似ている、むかしがかなしい感じ。むかしたしかにかなしかったのでしょうか、むかしをおもっていまかなしいのでしょうか、むかしとはかなしいものなのでしょうか。むかしそのものがかなしいのか、思い出しているいまが勝手にむかしをかなしいものにしてるのかわかんない。回想される記憶と、いまかなしんでいる心とのくべつがぜんぜんつかない。このかなしみは両手は疑いようもなくいまここにあるのにはたしてほんとうにじぶんのものだったでしょうか。どれがいつの記憶かわからなくなる感覚というのもあるけれど、いつの記憶か、には客観的なものさしがちゃんとあって、相対的な遠さや近さの感覚がそのものさしと齟齬を起こしているというだけなので、気持ち悪いけどりくつはよくわかる。むかしがかなしいとき、かなしさってどこにあるのかはぜんぜんわかんなくて途方もなくなっちゃう。閑話休題。今日は来年の手帳を買いました。そのあとサブウエイでお昼ごはんを食べて歌会に行ってひとりになっていろいろ歩きました。歩いた分だけつかれてねむくなる、というのはもっとも信頼できる安堵させてくれるものさしです。ハンドクリーム塗ってとっとと寝ます。シャボン玉吹いて遊ぶ親子に三度までも巡りあった日曜でした。(2014.10.19)