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みなそこすなどけい2

水底砂時計ni

100エーカーの破れ目(2015.09.05)

 どちらかと言うと映画は苦手なほうだったはずなのだけど、ことしは映画づいている。さいきん劇場で観たのは『追憶と、踊りながら』『バケモノの子』『マッドマックス 怒りのデスロード』『花とアリス殺人事件』、借りてきて観たのは『惑星ソラリス』『ペーパームーン』『サウンド・オブ・ミュージック』『かもめ食堂』とかだと思います。ですじゃなくて思いますなのは数え忘れてたり去年みたやつが混じってるかもしれないからです。映画はいきなりとある世界に放り込まれたりばーんて示されたりしたわりに2時間そこらでその世界とか物語とか人たちの運命とかがいちおう完結するじゃないですか、すると〈一部始終を目撃するひと〉を2時間ぶっとおしでつづけないといけないのでなんとなく気構えがいるじゃないですか? しょうみなはなし? って思ってたわけよ。うんと幼いころはレーザーディスクでディズニー映画(など)を死ぬほど何回もみていたので、映画ってひとつの完結した世界なんだよっていう刷り込みがあるのかもしれない。ほら100エーカーの森みたいに。霧の中でプーとこぶた(レーザーディスク版だと「ピグレット」じゃなくて「こぶた」なのだ)が同じところをなんどもぐるぐるまわって、同じ穴ぼこに帰ってきてしまったことで有名なあの100エーカーの森。だけどよくよく思いだしてみると、歩き疲れてそのクレーターみたいな穴ぼこでうとうとしてしまったこぶたたち、目覚めたあとお腹が空いたプーの嗅覚によってすんなりはちみつの待つおうちに帰れたんだったはず。われわれも映画が終わればおうちに帰るし、借りてきたDVDもツタヤの棚に帰るし、映画のなかの人たちもどこかへ帰ったり帰らなかったりする。と、ここまでだらだらと前置きを書いたところでちゃんと筋道たててまとめるのがめんどうくさくなってきました。今日観た映画について話すね。呉美保監督の『きみはいい子』です。とても理知的に構築された映画で、つくる側が情に流されてないからこそ泣いてしまった。長回しのシーンが多かったり、母親が娘をぶつのを隣の部屋から撮っていたり、おばあちゃんちの玄関のすりガラス越しの逆光や、長いマンションの廊下の気の遠くなる感じ、雨の音と会話の声がひとしく釣り合っている音響の感じ、などなど、総じて一步うしろに下がったところから作っている印象だった。だからこそ後半で人と人、顔と顔、肌と肌の距離が近づく描写がすんなり胸に入ってきたのだとおもう。逆光から順光へ。苦しいのはこれからもつづくよ、一発逆転の魔法でなにもかもに片がつくなんて無理だよ、だとしてもだからこそ抱きしめたいよ。帰りに香林坊から武蔵まで父と母と歩いた。映画の前は駐車場から3人ばらばらに劇場まできた。尾山神社のステンドグラスがさっきは夕日を受けて、こんどは電灯で内側からひかっていた。帰ってきて2月にもらったチョコレートフレイバーの紅茶を飲んだ。飴の瓶の蓋があかない。明日は日曜日だ。(2015.09.05)