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みなそこすなどけい2

水底砂時計ni

神様除去

日記

 三連休なのでひとりぐらしらしくひきこもっている。端的に言って鬱屈としている。ここでむさぼるように読んだり書いたりできればいいのだけれど、そうもいかずいたずらに考えごとと無駄なネットサーフィン(死語)ばかりしている。

 先週2巻を買ったばかりなのにこいいじの3巻と4巻を立て続けに買い、娘の家出の5巻を買い、あと『聖の青春』も買ってきて読んだ。

 前回のひとりぐらし、学生のころはとにかくお金がなかったくせになぜかアルバイトをしていなかったので、さみしさと金銭的なぎりぎりさが癒着して、癒着していたがゆえにぼんやり拡散せずにかえって生き延びるというただひとつの方向づけが気持ちの上でできていたように思う。いまは多少はお金を好きに使えるので、いろんな感覚がぼやけてしまう。スーパーに行って牛乳とチーズとヨーグルトを三つともためらわずかごに放りこめることに、なぜかすこしの絶望を覚える。すこしの絶望がどんどん積み重なる。かといって自分の楽しみのために思い切ってお金を使うことにも慣れていないので、せめて本だけはある程度好きに買いたいなとおもってすこしずつお財布の紐のゆるめかたの練習をしている。それが本題じゃないというのはわかっていながら。

 お財布の紐のゆるめかたがうまくなるより先に、人への接し方が雑になっていくのを感じて、それがとてもつらい。ゆめお姉ちゃんみたいに「人の気持がわからない冷血人間なのだ」と笑ってうそぶくにはまだ成熟できていないし、それを成熟と呼ぶことへの抵抗がおばけみたいにじぶんを苛む。わたしはやさしくなりたかった。誰か他者を生きる意味にするということでは決してなく。

 この年の将棋年鑑で、棋士全員に送るアンケートの項目の中に「神様が一つだけ願いをかなえてくれるとしたら何を望みますか」というものがあった。
 それに対して、村山はたった4文字でこう答えている。
〈神様除去〉
 それは、なんとも美しくも悲しい問答であった。 

大崎善生『聖の青春』講談社文庫、p.284)