みなそこすなどけい2

水底砂時計ni

何もなかったように、みたいに

忘れた、といつか答えて笑うだろうこの夕暮れの首のにおいも
/笠木拓「何もなかったように」『京大短歌23号』  

 

 6月の誕生日のときに書こうと思っていた日記を今さら書きますね。

 誕生日は月末の月曜日で、前の週の金曜日は仕事が終わってから市立図書館におはなし会を聴きに行った。本を見ないで語るタイプの会で、5つほどのおはなしを語りてが一人ずつ代わりばんこに聞かせてくれた。会場には椅子と人と冷房だけがセッティングされていた。演目のひとつに「いばら姫」があった。

 日曜日は雨で、夜になってから思い立ってスーパーまで車でお米を買いに行き、炊飯器をセットして眠った。

 月曜日。7時すぎになんとか起き上がる。炊けていたごはんをたべる。Coccoの『サングローズ』が聴きたくなって流す。〈でも大丈夫/あなたはすぐに/わたしを忘れるから〉*1。100年眠っていたような10年だった。忘れてしまってぶじに生き残るすべをなんとか身につけて、けれど悲しみも昨日の自分も覚えたままちゃんと連れて行きたい、と思う。
 電車で『フランス名詩選』を読んでいたら、忘れることについて考えているのを見透かすような詩にちょうど遭遇する。

(……)

さて今のいま、去年のわたしの古い悲しみは
どこに行ったか。辛うじて思い出すというくらいだが、
わたしはやはり言うだろう、「ほっといて下さい。なんでもない」と、
もし誰かがわたしの部屋に来て、「どうしたんだね?」と訊ねても。

/フランシス・ジャム〔雪が降りそう…〕*2

  毎日すこしずつ読み進めていたのによりによって。だけど、というより、それだけ忘れることについてしばしば考えているということかもしれない。

 一年前、2016年の6月に観た『リップヴァンウィンクルの花嫁』のことがずっと頭にあって、サウンドトラックは暮らしのなかでくりかえし聴いた。洗濯物を干しながら、劇中でましろを演じたCoccoが歌う「何もなかったように」を口ずさんだ。

誰かが戸口で なぐさめ言っても
もう忘れたよと 答えるだろう

荒井由実「何もなかったように」*3

 目覚めたらお城の中だけがすべてもとどおりだったいばら姫(たち)はハッピーエンドだったのだろうか。〈わが身一つはもとの身〉だと、彼女はどうして信じられたのだろう。

 100年眠り続けなくてさえ、(ふりかえった10年を長いながい眠りのように感じてもそんなのはただの感傷でどうやっても毎日寝て起きるしかない生なのに、)たまに「忘れた」とうそぶいたり本当に忘れていたり、忘れたことにすら気づかなかったり、忘れたつもりで呪いのように覚えたままだったりするのに。

 駅前のビルでりんごとカスタードのチーズケーキを買って帰る。うすべにときんいろの誕生日の夕やけだった。