みなそこすなどけい2

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『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』感想メモ

 劇場版『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』をみたときの感想メモが発掘されたので置いておきます。メモなのでこのあとちゃんと文章にしようと考えていた気がするのですが、DVD借りてきて観てからもう一年くらい経ってしまったのと、(あ、思ったよりいいこと言ってるのでは?)という気持ちになったので。

 いちおうネタバレ回避で〈続きを読む〉に収納しておきます。

 

 ・夜の薔薇園のシーンでアンシーはウテナを選んだ。薔薇の花嫁として選ばれたからではなく、ウテナとなら世界を革命できると信じて

 

・冬芽の義父は冬芽を「決闘に勝って」(つまり財力で)手に入れ、所有物にした。TV版の「女の子はみんな薔薇の花嫁みたいなものですから」という提示から一歩踏み込んで、「決闘に勝って所有物として閉じ込める」「生きている死に塗り込める」という暴力が、誰の(男性の)上にもふりかかることを示す。

・そして、その「決闘ゲーム」に縛られているのは勝者も同じだということも。

・だから冬芽は「決闘の勝者」でないやり方で〈王子様〉になった。よって劇中に彼の決闘シーンがないのも理にかなっている。(し、七実様が牛だったのもしょうがない)

 

・そう、革命は決闘でないやり方でなされなければならない

 

・西園寺が「決闘を降りる」ことを示唆したのもよかった

 

・所有者=男性ジェンダー=王子様 というこの社会で安易に結び付けられている前提への反措定

 

・中途半端な王子様気取りは痛い目を見る、という樹里の言葉は自分自身に向けて言っている。

 

・アドゥレセンス黙示録はTV版のパラレルだが、再話であり、別角度からの補完であり、なによりトゥルーエンドだ

 

・アンシーの選択で世界を抜け出し、二人で革命がなされたことがまずあるし、

・あの城のように「聳え立っているもの」がインチキであることを冬芽の側からも暴いたのがなにより革命的

 

・樹里もまた仮初の王子様という役割に縛り付けられることから降りた。薔薇に水をやり続けるだけの栞と、すべて水に流して外へと向かったアンシーの対比。