みなそこすなどけい2

水底砂時計ni

短歌日記(2013.11.29)

2013年11月29日(金)

 夕方のニュースの受け売りなんだけど、この冬一番の寒さらしい。(ほんとうはなにもかも受け売りなんだけど。)さもありなん、さも、さ、さむい。

 2限の演習のあと、S先生の部屋まで付いて行って先行研究の論文をお借りする。S先生は指導教員である。「笠木は地元、北陸だっけ? 俺が好きだった小説家で金沢大学にいた古井由吉って人がいてさ、昭和何年の豪雪を……」ああ、38年ですね。「うん、それを題材にした『雪の下の――』っていう小説がさ、」聞き取れなかった。雪の下の、何ですか? 「『雪の下の蟹』。カニさんな」ああ、蟹。それから先生は煙草に火を点けた。「蟹」という一語を聞いてしまったことで、件の小説の題名は一つに確定してしまった。「雪の下の湖」や「雪の下の瑠璃」や「雪の下の猫」、そのほかあらゆる可能性は、正解〈かもしれない〉身分を一瞬にして奪われてしまった。なんたる権力。(ほんとうはなにもかも受け売りなんだけど。)でも、だとしても、このときの先生の「カニさん」の言い方や、煙草の赤い火を、きっとこの先も覚えている。そんな気がする。ここにしかあり得なかった受け売り、ではだめだろうか。

 出町柳の橋を自転車で渡る。またもやよく晴れている。上下が水色と灰色に分かれた、ふっくらした雲がたくさん浮かんでいる。川が穏やかにきらめいている。静かで、でも豊かな、洗練された弱奏部のようだった。こうやって言葉にすることで嘘を混ぜてしまいながら、(ほんとうはなにもかも受け売りなんだけど、)でも覚えていようと思う。 

 

お布団でひもとく高野文子かなまもなく部屋の灯を消す未来

 

初出:『京大短歌20号』(2014年3月)
※11月の終わりから12月の最初の日までの10日間、後輩の北村さん
と並行して日記+短歌を書く企画より。10日間のうちの8日め。京都に住んでた最後の冬。