みなそこすなどけい2

水底砂時計ni

今さらスイートプリキュア♪を振り返る

 スイートプリキュア♪が恋しい。現在絶賛ウルトラハッピー放送中あかねちゃんは名乗りがキュアサニーィェかわいい、なスマイルプリキュア!もおもしろいけど、けどスイートが恋しい。心の中のなつかしい場所として不動の地位を得ようとしている。どうしてこうなった。どうしてこうなったのだろう。スイートの開始直後は大丈夫なのかこのプリキュアはと懸念していたのに。それが一年間見続けてみたらどうだ。僕がプリキュア道へ分け入ったのはハートキャッチからでプリキュア歴はまだまだ浅いのだけれど、スイートの最終回付近はプリキュアのエッセンスがぎゅっっと詰まっていて胸が苦しかった。苦しかったんですよ。前向きな心的外傷だよ。どうしてくれよう。
 前作ハートキャッチと比べて、最初はそもそも響と奏のキャラデザがあらまあ眉目秀麗ねえキリッとしてるなあこれ好きになれるのかなあというのもあったし、その辺は動いてるのを見たらすぐに慣れたけど当初はなにしろ響奏喧嘩しすぎだし加音町住民の音楽愛の表し方がそれこそズレとったしセイレーン様のネガトーン出すバンクは怖いしで、視聴者として一緒にプリキュアするというよりただ百合萌えして楽しむのがメインになっていた。
 最初の変化はセイレーン様チョロかわいいな、意地張ってるけどいい子じゃん、という所だった気がする。響奏の仲を引き裂こうと響と親友になり切る作戦でまんまとほだされてるし。やっぱスイプリの子たちはとりあえずみんな素直になれよそっちのほうがかわいいからって思った。
 そこへ10話である。10話、幼稚園で子どもたちと歌を歌う回、すなわちゴリラ回である。最終回を控えた時期に各話リストを見返していたとき、この10話こそがスイプリ最大のターニングポイントだと確信した。ビート誕生回でもミューズの仮面が外れた回でもなく、ゴリラ回である。この回のポイントを押さえてみよう。セイレーン様がデレたためネガトーンを出したのがバスドラであること。音楽愛のごく自然で体当たりな表出が響の父君から響へ、そして奏へと広がり伝わってゆくこと。そして戦闘の締めが響奏が同時にベルティエを使っての2人フィナーレだったこと。ほら、音楽を愛する気持ちがプリキュアとしてひとつ強くなり絆が深まることに見事に昇華されているではないか!そしてセイレーン様のデレを引き出し、奏の羞恥心や意地を打ち砕いたキーマンは誰あろう王子先輩である。王子先輩がいなかったらスイプリはどうなっていたことか…すごいぞ王子先輩。
 かくしてその後のスイプリは最終回まで一直線である。4人のプリキュアは最大の敵・ノイズを、彼の悲しみを、打ち倒すのではなく許し、救う。それができたのは4人が自分たち自身の悲しみを許され、許しあってきたからだ。ほかならぬ音楽こそが許す力の源であり、音楽を愛する気持ちがプリキュアの矜持そのものなのだ。音楽という大上段に構えたテーマが発露される様は、脚本や演出の上でかなりでこぼこしていたけれど、調べの館を飛ばすゴリ押し力でスタッフは押し切った。一本気な番組である。どこまでも一本気なキュアメロディの啖呵がとてもとても恋しくなる。
 そうして今になって思うのは、許す力の象徴でもあったハミィがいてくれたことの安定感が抜群どころではないということだ。三石さんすごいよ。ハミィが切なげに口にする「セイレーン?」っていう呼びかけが大好きだった。ハミィは慈愛の権化みたいだけれど、ハミィのしていること自体は、本当は特別ではないのだとも思う。大切な人からの優しい呼びかけはあまねくハミィの声だ。耳をふさいでしまうこともあるけれど、セイレーンには本当はちゃんと聞こえていた。そして最終話でハミィに向けてまっさきに歌いかけたのはセイレーンだった。ほんとうによかった。
 どこへ向かって書き進めているのかわからなくなってきたのでそろそろ筆を置きます。なんかすごい宗教じみてて我ながら笑えるんだけど、だってでも無性にスイプリが恋しいので。ラブレターなので。ただしモアイ回、テメーだけは絶対に許さない。
 プリキュアすることの初めの一歩は許すことなのだ。だから悲しくなったらいつでも、ちょっとだけ立ち止まって耳を澄まし、ハミィの声を探そうと思う。

スイートプリキュア♪ 【DVD】 Vol.7

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