みなそこすなどけい2

水底砂時計ni

2016.09.30

 「ねむい」のひとことだけでもいいから紙の日記をまいにち書く、というのが今年の目標で、それなりに達成できてはいるのだけれど今日は家に日記書く用のノートを忘れてきてしまった。隣の県の実家に帰ってきております。さっき郵便局に消印をもらいに走ってきた。ひと月以上ぶりに自動車を操縦した。夜で雨なのに! 自動車の操縦はあまり好きにはなれない。なぜなら景色をまともに見ることもぼーっとすることもできないから。今宵はとても体力的に疲れていてかつ精神的にハイだったのでめちゃ慎重にハンドルを握った。夜の雨は好き。おやすみなさい。

神様除去

 三連休なのでひとりぐらしらしくひきこもっている。端的に言って鬱屈としている。ここでむさぼるように読んだり書いたりできればいいのだけれど、そうもいかずいたずらに考えごとと無駄なネットサーフィン(死語)ばかりしている。

 先週2巻を買ったばかりなのにこいいじの3巻と4巻を立て続けに買い、娘の家出の5巻を買い、あと『聖の青春』も買ってきて読んだ。

 前回のひとりぐらし、学生のころはとにかくお金がなかったくせになぜかアルバイトをしていなかったので、さみしさと金銭的なぎりぎりさが癒着して、癒着していたがゆえにぼんやり拡散せずにかえって生き延びるというただひとつの方向づけが気持ちの上でできていたように思う。いまは多少はお金を好きに使えるので、いろんな感覚がぼやけてしまう。スーパーに行って牛乳とチーズとヨーグルトを三つともためらわずかごに放りこめることに、なぜかすこしの絶望を覚える。すこしの絶望がどんどん積み重なる。かといって自分の楽しみのために思い切ってお金を使うことにも慣れていないので、せめて本だけはある程度好きに買いたいなとおもってすこしずつお財布の紐のゆるめかたの練習をしている。それが本題じゃないというのはわかっていながら。

 お財布の紐のゆるめかたがうまくなるより先に、人への接し方が雑になっていくのを感じて、それがとてもつらい。ゆめお姉ちゃんみたいに「人の気持がわからない冷血人間なのだ」と笑ってうそぶくにはまだ成熟できていないし、それを成熟と呼ぶことへの抵抗がおばけみたいにじぶんを苛む。わたしはやさしくなりたかった。誰か他者を生きる意味にするということでは決してなく。

 この年の将棋年鑑で、棋士全員に送るアンケートの項目の中に「神様が一つだけ願いをかなえてくれるとしたら何を望みますか」というものがあった。
 それに対して、村山はたった4文字でこう答えている。
〈神様除去〉
 それは、なんとも美しくも悲しい問答であった。 

大崎善生『聖の青春』講談社文庫、p.284) 

世界時計に手を振る

 金曜日だったので昨日は本を買った。会社を出て15分くらい、大きな建物の6階にある広い本屋さんに向かって歩く。すこし肌寒い。城址公園のところでなにかのイベントの設営をしている。テントを張ったりとかそういうの。東のほうの空には綿ぼこりのうすいのみたいな雲がかかっていたけど、夕日はちゃんと西の空に焼きついてた。本を買って、駅までいつも通勤するのと平行に一本ちがう道を歩いていたら、街路樹に集まったムクドリたちが超音波みたいに鳴いてた。おびただしい数の、とぎれないすさまじい声。まだこの土地はすこし異界みたいと思う。あたりはすでに藍色を通り越してすっかり暗く、ムクドリたちは街路樹の葉っぱにくろぐろと覆われて姿が見えない。右手に見えるホテルの地下には中華料理屋さんがあって、小さいころはよくお正月に家族と食べにきた。幼いころの記憶からきゅうに今ここに飛んで、間が抜けているので、パラレルワールドみたい。

 引越してきて3週間くらい経つ。

 寝る前に読んだ『こいいじ』(2)のなかで、主人公のまめちゃんが引越しをしていた。まめちゃんの、ぼんやりしているうちにアラサーになってしまった感が他人とは思えない。寝て起きて今日は土曜日だったので掃除とお洗濯と買い物と、あとカレーを作った。いま書きながら気づいたけどまめちゃんも昨日の夜、家にひとを呼んでカレーを食べてたのでまねっこみたいになってしまった。まめちゃんがカレーを食べたのはほんとは昨日の夜ではないのだけれど。そしてこちらはこのあと一人で食べるのだけれど。

 お昼ごはんはカップ焼きそばを食べた。これも昨日買った『女の子の食卓』(よりぬき文庫版)に入っているカップ焼きそばの話を読んで今日の昼にまんまと食べたくなったからなのだけれど、その経緯を写真つきでシェアしようとして、でも急にむなしくなってやめてしまった。

 ところで、お正月にだけ毎年行っていたその中華料理屋のあるホテルには、1階のロビーに世界時計があった。ふすま4枚分くらいあったように思う。ツヤ消ししてある金色っぽい地に、シルエットだけの世界地図が浮き彫りになっていて、いくつかの都市の名前に明滅する時刻が添えられている。遠くにいる好きなひとたちを、生活のなかでふっと立ち止まって思うのは、世界時計に似ている。見えない場所で、パラレルにちがう時間を浴びているみんなたち。一人ひとりがロンドンとかより絶望的に遠い。というより、その遠さも慕わしさも、物語のなかのまめちゃんに対してのものとちっとも変わらない。

 遠いからときどきごはんの写真をSNSに投げたりするのだけれど、イイネがついた瞬間はロンドン(比喩)で生活するそのひとが目の前にいるみたいに感じるけれど、ほんとは世界時計のある壁に向かって手を振っているだけなのだった。

 

 だからロンドンへのエアメール程度にはちゃんと書いたっぽいものを書こうと思ってこれを書いている……というのはあとづけで、複数あったブログを統合&引越ししようかなというのは前から考えていて、新しい暮らしもちょっとだけ落ち着いてきた土曜日なので実行に移したというわけなのでした。

 この記事より前の日付のやつは、2つあったブログの記事をとりあえずそのまま放り込んだ感じです。あとブログとはべつにtumblrに書いてた記事(タイトルに日付入りのやつがそれ)も並んでます。出自のちがう記事たちはカテゴリやタグが入り乱れてわけわからんだったので、カテゴリとかタグはぜんぶ消しました。できればちょくちょく短めのエアメールを書いていきたいけど、とりあえず鍋にカレールーを溶かしに行ってきますね。