みなそこすなどけい2

水底砂時計ni

2021年に書いたもの

明けて2022年になってしまいました。
ことしもよろしくおねがいします。

とりあえず2021年に書いたものを一覧にしました。もしかしたらコメントとか追記していくかもです。

短歌作品

「路銀と借景」8首 「弦」第54号

うつくしくかなしくめぐる季節とか夢とかおすし手からはなれて

 

「半券」5首 「現代短歌新聞」3月号

半券を挟んで貸したあの春の河出文庫をふたたび買いぬ

 

「ゆめかようみち」12首 「歌壇」4月号

夜のみぎ夜のひだりへ街灯は光を分かつ双葉のように

 

「銀の靴」38首 「Sister On a Water」vol.4

海に架かる橋はたてごとその弦をつまびく指をゆめみて待たず
ぶらんこを打つ春の雨かりがねの残していった心のような

 

ささめきこと」13首 「七物語2021」(ネットプリント)

夜に干すはなだのサマーカーディガン手を離すときかすかにゆれて

 

「ギフト・ギフト・ギフト」30首 Twitter, BOOTH
 少女☆歌劇レヴュースタァライトTVシリーズ〜劇場版)の二次創作短歌連作

縁太き眼鏡が星の檻ならば虎の牙もて喰い破るまで

 
短歌関連の文章

・往復書簡(歌人佐藤弓生さんと) 「ねむらない樹」vol.6

・「見えるものと消えないもの」  土岐友浩『僕は行くよ』書評 「歌壇」7月号

・「学校とその舞台袖」  千葉聡『グラウンドを駆けるモーツァルト』書評 「ねむらない樹」vol.7

 

・歌集評連載「きょうは傘とか歌ありがとう」  うたとポルスカ

 第1回 谷じゃこ『クリーン・ナップ・クラブ』

 第2回 高島裕『盂蘭盆世界』

 第3回 島田修二『渚の日日』

 

それ以外の文章

・『日記に幕は下りません』 BOOTH

2021年に書いた文章ではないですが、柳川麻衣さんとWebでやっていた交換日記(2019年11月〜2020年10月)が紙の本になりました。

 

・「ほころび」 「Quick Japan」vol.155
aikoエッセイ大賞受賞作 aikoの楽曲「愛で僕は」に寄せて
aikoのアルバム『どうしたって伝えられないから』から任意の1曲について書く公募企画。13曲あるので大賞は13人、そのうちの1編に選んでいただきました。

 

二次創作

アイドルマスターシャイニーカラーズの二次創作小説をちらほら書いたりしています。いちおう別名で書いてるけど隠してないけど声を大にしては言ってないかんじです。こちらから。じゅんなななのお話も書きたいなと思っている。

吉岡太朗一首評

歯みがきをしているわしは歯みがきをされとるわしにつづくほら穴  吉岡太朗『ひだりききの機械』(短歌研究社

 

 掲出歌を含む連作「ほら穴」の主人公は、どうやら介護の現場で働いているらしい。その文脈からすると、「歯みがきをしているわし」は被介護者の歯をみがいてあげている現在の私のことであると読める。その私もいつかは誰かに介護してもらう側になる可能性を十分に持っているのであり、現在の私と未来の私の連続性を「ほら穴」に喩えているのである――

 右のような読みは一見かなり説得力があるのだけれど、ほんとうにそれだけだろうか。私には違和感が残る。だってその場合、「ほら穴」は「わし」(の身体)の比喩としてよりも、時間(具体的には老年へ到る年月)の比喩としての比重が大きすぎるではないか。

 初めてこの歌を読んだとき、自分自身の歯をみがいている場面なのだと思った。私たちはふつう、たとえば「眠いからもう歯をみがいてくるね」とは言うが、「眠いからもう歯をみがかれてくるね」などとは言わない。しかしじつは、自分の歯をみがく行為は、歯をみがかれる側の、客対の私がいなければ成り立たない。掲出歌において、口腔の奥へとつづく闇に歯ブラシを挿し入れながら、「わし」という個人の意識は〈みがく者〉と〈みがかれる者〉に分断されつつ、けれども一つの同じ身体という「ほら穴」の両端に、逃れがたく縛りつけられている。歯みがきという実践が通常、鏡に自己の像を映しながらなされることも踏まえると、この分断と同一性がより喚起力のあるイメージとして迫ってくる。

 とはいえ、同じ私という身体に棲む〈みがく者〉と〈みがかれる者〉との呼び分けは、常識的にはナンセンスだろう。だが、ナンセンスだと思うその感覚こそ、私たちが〈みがく者〉つまり意図をもって力を行使する主体を、行使される側より無意識的に優位に置いてしまっていることの証左ではないだろうか。

 ここで第二句「している」と第三句「されとる」の口調の差異に注目したい。「されとる」の方が肉声に近く、「している」の方がすこしお行儀が良い。というかそもそもこの歌、「AはaにつづくB」という構文の知的な処理の仕方や、定型にぴったり納まる韻律など、修辞面では端正でお行儀が良いのだ。だからこそ読者は、一首を読み進めて一人称「わし」や「されとる」と遭遇し、息づかいのゆらぎに体臭を嗅ぎとり、たじろいでしまう。微差かもしれない。しかしその微差をこそ吉岡はすくい上げようとしているように思えてならない。

 掲出歌はもちろん介護の場面とも読めるのだけれど、その場合でも「ほら穴」という比喩を時間だけでなく身体性にもできるかぎり引きつけて読みたい。目の前の老人にしろ、衰えた将来の私にしろ、単なる遠い他者ではないのだから。優位を保って一方的になにかをしてあげればいいだけの相手ではないのだから。介護を必要としない今の私の身体にだって、常に「されとるわし」は同居していて、「しているわし」をたじろがせる力を持っていることを、忘れるべきではないのである。

 

初出:「スカシカシパン 金沢・鏡の会現代短歌アンソロジー2016」

短歌を始めたころ(1)

「そっか、じゃあ今は君がシリウスを吹いているんだね」とK先輩は言った。

 二〇〇四年の十二月、奈良は斑鳩でのことだった。寒々しい田んぼの間を並んで歩きながら、噂にだけ聞いていた同じ担当楽器のOGと、初めて会ってそんな話をした。シリウスというのはK先輩が部のバスクラリネットにつけた名前だった。そのときまで二年ちかく吹いてきた楽器に名前があって、名付け親が目の前にいるのが、不思議に思えた。

 母校の高校には「万葉大和旅行」というへんな行事がある。よりによってクリスマス前後に二泊三日で奈良に行き、複数のコースに分かれて見て回る。希望者のみ、せいぜい二十人前後なのだけど、わざわざ参加しようという生徒は歴史オタクか仏像萌えか、そのほか、なんらかの酔狂さを持っていた。手弁当で駆けつける卒業生のリピーターも多い。K先輩は三つ年上で、つまり僕と入かわりに高校を卒業し、京都大学に進んだ。

 「シリウス」という名前を教えてもらった場面ばかりが鮮やかすぎて、ほかに何を話したのか、ぜんぜん覚えていない。寒くて、よく晴れていた。法隆寺中宮寺を見終えてから、法輪寺法起寺のほうへと、遮るもののないがらんとした地上を歩いていた。そのときK先輩と話したのが、漠然と興味を持っていた京大に行こうとほんとうに思ったきっかけで、意識下の直感では、たぶん、その場でもう決めていた。直接大学の話をしてどこに惹かれたというわけではなくて、ただ、なんだか憧れてしまったのだった。

 

 短歌を始めたころのことを書こうと思いたち、まず頭に浮かんだのが、なぜだかこの場面だった。

 

 奈良から帰ってきて年が明け、春休みの定期演奏会に向けて放課後にシリウスを吹く日々が過ぎた。試験も終わった三月のある日、学期末の古典の時間は消化試合の様相を呈していた。そんなとき、だしぬけに前後編で二コマ、短歌の授業があった。

 当時、わがクラスの古典を担当していたのは〈式子先生〉だった。式子先生の名前の由来が式子内親王だということは四月当初の自己紹介で聞いていたのだけど、先生が短歌を読む人だというのはそのとき初めて知った。

 俵万智『短歌をよむ』から「カレー味のからあげ」のエピソードの紹介があったり、いくつかの短歌穴埋め問題(「ミックスベジタブル」かなあ……でもそうすると音数が合わない? いや、合うのか?? ……という経験を通して句跨りの概念を知った)を出題されたりなどした。 

 そして式子先生はこれも俵万智の『あなたと読む恋の歌百首』からいくつか短歌を紹介し、おのおのが選んだ一首の鑑賞文を書いた。

 このときに出合って衝撃を受けたのが水原紫苑『びあんか』からの一首だった。

 

われらかつて魚なりし頃かたらひし藻の蔭に似るゆふぐれ来たる  水原紫苑『びあんか』

 

 短歌ではこういうこともできるのか、とびびった。なんの言い訳をしなくても、見たまま、心が経験したままを、見たとおりに言い切っていいのだと知って、世界が変わった。

 授業では最後に自分で一首を作って、それを記した紙をまわしてコメントしあった。そのとき作ったこの歌が、たぶん作ろうとしてちゃんと作った始まりの歌。

 フェルマータ恋は任意の長さなら傷付けたのは俺だね、ごめん

 

 これより前だったかあとだったか忘れたけれど、家にたまたまあった角川文庫の『もうひとつの恋』を手に取った(ブックオフのシールがついていた)。俵万智の短歌(ときに多行書き)に浅井慎平が写真を添えたその本を、繰り返し読んだ。この一冊で句切れ、句跨り、句割れ、などなどの定型の使い方を学ぶともなくだいたい学んだように思う。

 

アブセンス ぽろんとピアノは鳴りはじめ
あなたがいない私がいない

 

デジタルの時計を
0、0、0にして
違う恋がしたい でも君と

 

俵万智『もうひとつの恋』

 

 それから一年とすこし、高校生のうちに、たぶん両手で数えきれるくらいだけれど、たまに短歌を作った。短歌をずっと作りつづけることになるとは、このときは考えていなかった。六月に部活を引退してシリウスを後輩に託した。九月の創立記念祭が終わると、あとは受験へとまっしぐらになる。記念祭が終わった日、ノートにこう記した。

 

 この夏は終る制汗スプレーのあと一回を使えば終る