みなそこすなどけい2

水底砂時計ni

2017.04.23

 ファミレスで和食を食べるのがけっこう好きで、なぜかというと選択肢の多さを有効活用している気になれるから、あとなんとか御膳とかちょっとリッチな気持ちになるからだと思う。だけど今日はハンバーグの気持ちだったのでハンバーグを食べた。セットのスープとサービスの自分でとってくる中華スープとでスープがかぶってしまった。どちらもちょっとしょっぱかったけれど、人心地を摂取している味がした。日曜日だったのでお客さんはおおむね家族できている人たちだった。しきりをはさんで右側の席も三世代の親子連れだった。スープを飲み終わるころに通路をはさんで隣の席に大学生くらいの男の子がきて、料理の本を広いテーブルに何冊も置き、読みはじめた。こんど金曜日とかにドリンクバーと甘いものを食べに来ようと思った。

 来るときにみた空はうすい橙色と濃くなっていく藍色のグラデーションで、飛行機がほそくて濃い赤のラインを2本曳いて左へ滑っていった。声から鳥の姿をさがして電線にとまっているつばめをみつけた。いまは夜。まえはあんなに夜と親しかったのに夜に歩いたり自転車を漕いだりめっきりしなくなってしまった。星もしばらくちゃんとみていなかった。いちばん忘れてしまっている夜は夜のにおいで、夜がにおいを持っていたことをせめて覚えていたい。ぜんぶが旅ならばすぐにも夜を思い出せるのに、でも旅には帰る場所が必要で、帰る場所をいじするにはお金がいる。

 スーパーでヨーグルトとグラノーラとお茶の葉っぱを買い、クリーニング屋さんでスーツの上下を受け取って、歩いて、家に着いた。ファミレスの窓には車のライトが流れ、いつもの道とは違ってみえ、遠い旅先にいるみたいだったな――ということをこたつでこれを書きながら思った。さっきあの場ですぐにそう思ったことに、言葉で、してしまう。このダサい生活をファミレスで頼むたとえばおろしとんかつ御膳なのだと言い張りたい。アイロンがけだけはかろうじて終えて4月のこの週末はこれきり。おやすみなさい。

2016年末に奈良を旅した日記2

 (承前)

 旅先にしてはいつもよりぐずぐずにくたびれてないな、と油断していたらなかなか寝つけなかった。もう明け方かな、と思って時計を見たらまだ夜中で、そのまましばらく昼間に買ったばかりの歌集を読んでいた。少しだけ眠って、まどろみを振り切って外套を着る。朝の散歩へ。

f:id:ashco_62:20161231072611j:plain

 東大寺の境内は霜が降りていて、霜の降りた草地を鹿は食んでいた。二月堂からは遠くまで、遠くの山の手前を飛ぶ鳥までよく見わたせた。そう、鳥の声がとてもよかった。境内も路地もいろんな鳥の鳴き交わす声がよく透って聞こえてきた。
 宿の中庭に半分に切ったみかんが置かれた巣箱があって、チェックアウトするときに聞いてみた。なんの鳥が来ると教えてくれたのだったかもう忘れてしまったけれど、尋ねて答えてもらったことを覚えていようとおもう。

 戒壇院で10年ぶりくらいに四天王像と再会したあと(多聞天が好きです)、せっかくこんなによく晴れたときに奈良にいるのだから、と山の辺の道まで足を伸ばすことに。桜井線の窓からは平らな地面とぽつぽつとある家、とおくとおくに長く続く尾根、ぜんぶが冬の日差しをしずかに浴びていた。隣のちいさな男の子が座席に立って窓の外をたのしそうに眺めていた。

 三輪駅。参道に並んだ屋台がぼちぼち初詣に向けた開店準備を始めていた。大神神社にお参りしてから山の辺GO! 時間をかんがえて一駅分だけ歩くことにする。

f:id:ashco_62:20170108122930j:plain

 記憶よりもけっこう山道っぽかったので難儀したけれど、ところどころで眺望がとてもよい。歩いていると汗をかくし、立ち止まるとさむい。マフラーと手袋をつけたり外したり。すれちがう人がちらほらいて、ほやほやとあいさつを交わす。桧原神社にたどり着く。前川佐美雄の〈何も見えねば大和と思へ〉の歌碑をみつけておおっと思う。

f:id:ashco_62:20161231123939j:plain

 まきむく駅までつらつら歩く。なんで歩いているのかよくわからなくなってきたけど、景色がでっかくおだやかなので、ああべつに生活とか達成とか人生とかいぜんに人間は呼吸をしたり歩いたりするのだなあと素朴なことをおもう。

 そのあとJRの奈良駅ふきんでお土産を買ったりする。大晦日の午後、京都へのみやこ路快速は空いていた。前の席に英語圏からの旅行の家族が座り、小さな女のこがときどきシートの隙間からこっちを見てきたのでほほえみかえす。京都でいっしゅん降りたらすごい人で伊勢丹の地下なんかとにかくすさまじかった。特に結論はなく家に着いて年を越した。去年と今年とか旅と日常とかほんとうは境目がないのにみんなしてなにか世界が書き換わったみたいな気持ちでいる。それはそれでたのしいけど、ほんとうにほんとうはすべてが地続きだし、どうしようもなく粘っこい地上の日々ごと旅だし、一度だって醒めたことはない。ことしもまたあした。

2016年末に奈良を旅した日記1

絵巻物右から左へ見てゆけばあるとき烏帽子の人らが泣けり

 /中津昌子『風を残せり』

 2016年の終わりに奈良へ行ってきました。

 12月30日、新幹線とサンダーバードを乗り継いで西へ。電車の中ではうとうとしたり「三人姉妹」を読んだりしていて、山科あたりで読み終えて(わたしも生きて行くのだわ……)としんみりしながらホームに降りる。しんみりしていたら棚にリュックを忘れました。駅の通路でコインロッカーを目にして、(あれ? 大きい方の荷物は?)と気づいて慌てて引き返したらすでに列車は出たあと。駅員さんに聞いてとりあえず忘れ物センターに電話をして、とりあえず京都で待機するかー、地下鉄とかで行けるところ……と思い直す。

f:id:ashco_62:20161230104036j:plain

 朝、最寄り駅まではちらほら雪が降っていたのに、京都は気持ち良く晴れている。北陸のたまたま晴れた冬の日とは空の高さと青さがちがう感じ。乗り換えるはずの烏丸御池でまちがえて降りてしまい、御池通を東へ歩いていたら忘れもの見つかりましたの連絡がきてほっとする。とりあえず三月書房へ。

f:id:ashco_62:20161230121652j:plainf:id:ashco_62:20161230121656j:plain

 歌集を一冊買い、京阪三条まで歩く。京都の冬はひだまりのある冬。ひだまりのある冬があるなんてこの街で暮らすまで知らなかった。八幡市駅を通過するだけで胸がちりちりする。京橋でJRに乗り換えるとき、一瞬だけ大阪の地上を横切る。

 大阪駅の忘れ物センターのおじさんは無愛想だったけどぶじに荷物は帰ってくる。中身について具体的に細かく質問された。そりゃそうか。 

 どこ駅かもう思い出せないけれど乗り換えて近鉄で奈良へ。2ヶ月くらい前のじぶんが年末だからいい宿に泊まりなよ、と予約してくれた小さな良い宿はグッドルッキングルーム*1でしかもひとりだけどツインだった。日が沈まないうちにぜひとも散歩にいかねば! という気持ちで奮い立ち、まちなかのほうへ歩く。黄昏の猿沢池が魔法みたい。

f:id:ashco_62:20161230171524j:plain

 奈良は京都より建物とか人とか風景の中のいろんな要素が密集してなくて、ぼんやり歩いていてもたのしいので良いなあとおもう。古本屋に入って文庫を一冊買う。近鉄奈良駅のほうへ移動して後輩氏とサシ忘年会を執り行う。『こいいじ』の話が通じるのをいいことに「でもわたしは人の気持ちがわからない冷血人間だから……」を連発してしまう。奈良漬入りポテトサラダとかがおいしかった。居酒屋を出てカフェで閉店までの30分だけパフェをつつきながら延長線をする。駅前で別れて宿まで20分ちょっとをゆっくり歩く。ペットボトルのお水がおいしい。

f:id:ashco_62:20161230215108j:plain

 今年は仕事も変わってふたたびの一人暮らしになったけど、大学生だったときほど静かな時間やボーバクと過ごす時間は取れない。そりゃそうか。でも稼いだお金で旅をして、その旅先の奈良でボーバクとできているのはうれしい達成ではあるし、とはいえやっぱり隙を見つけてはボーバクと過ごすぞーと決意を新たにしたのだった。(2日目につづく)

*1:折しもtwitter上は叶姉妹コミケ参戦大喜利に沸いていた